課題テーマに挑戦「銚子港」第14回
2023年08月19日
課題テーマに挑戦「銚子港」第14回
もう8月も残すところ、10日余りとなりました。ですが、ここつくばでは午後は34℃まで気温が上がるとの予想です。
今年ほど暑い夏は なかったのではないでしょうか?福島県伊達市では、8月5日の午後2時に全国で初めて気温が40℃に達したそうです。
これから、毎年こうして少しづつ夏の気温が上がっていくのでしょうか?人間ばかりではなく、犬や猫、農作物にも益々大変な辛さを強いるのでしょうか。
気分を変えて、少し涼しい画像をご覧いただきます。この画像は、筑波実験植物園で撮ったものです。
植物園には、大きな池があります。メダカが群れて泳ぎ、アメンボは所狭しと元気に水面を走り回っています。
次の画像はクイズです。この緑の葉の中にバッタが隠れています。バッタは何処でしょうか?
次の花はねむの木です。昔、美智子皇后陛下が「ねむの木の子守歌」という作詞をされたことがありました。
この画像の赤っぽく見えるのは花ではありません。葉が色づき丸く反り返っています。ニシキギ科の「コマユミ」と言う名の植物だそうです。
一部に日本庭園があり、「鹿威し」が爽やかな音を醸し出していました。
アイキャッチ画像は、昨日撮った筑波山ですが、もう秋の気配が感じられます。
物語 想い出の銚子電鉄外川駅(第7話)
【翔太の東京への就職】
翔ちゃん、この手紙を含めて長い手紙を4回も送らせて頂き、ご迷惑だったかも知れません。
でも、私が養護教諭を生涯の仕事にしたいと思った訳を、どうしても翔ちゃんに分かって欲しかったのです。
私は翔ちゃんが大好きです。翔ちゃんからプロポーズを受けている訳ではありませんが、私は翔ちゃんと生涯を共にしたいと考えています。ですが、私が夢に突き進んでいくことは、将来の私たちの生活に大きな障害になるかも知れないと本当は危惧しているのです。心配なのです。
何故なら、私が養護教諭として働くことは、翔ちゃんと真逆の生活をすることになるからです。
翔ちゃんが就寝している頃に私が帰り、翔ちゃんが出かける前には私は床に就かなければなりません。もちろん、無理をすればキンメダイ漁に出る翔ちゃんを笑顔で玄関から送り出すことも可能です。ですが、長い間にはきっとそれでは養護教諭としての私の心が疲弊してしまうのではと不安になってしまうのです。
叔母の話しから、大切な子供たちを卒業まで見守り続けるためには、私は僅かでも気が抜けないと思うのです。睡眠不足で子供たちの異変に気付かずに万が一のことがあったりしては、養護教諭を生涯の仕事と決めた私の決意に反してしまいます。一生悔いが残ることになってしまうと思うのです。
嫌なことを書いてごめんなさいね。でも、楽しい家庭を築きましょうね!と真実から目を逸らしたキレイごとを言っても、その幸せは永く続くことにはならないと思うのです。
でも、二人で最善策を考えればきっとよい解決策が見つかると信じています。翔ちゃん、きっと大丈夫ですよね。頑張りましょうね。
ネガティブな話をして嫌な思いさせてしまいました。少し、話題を変えますね。同じアパートに住まわれている大学生の方と言葉を交わすようになりました。彼女の名前は小野裕子さんと言い、私より1年先輩です。出身は茨城県のつくば市だそうです。中学生の頃、ご家族で銚子に来られたことがあり、犬吠埼灯台や屛風ヶ浦を見て回った楽しい思い出があると、嬉しそうに話してくれました。それに海鮮料理の店で食べた「三食丼」がとても美味しかったことが今でも忘れられないと、私を喜ばせてくれました。
私もつい興奮して、筑波山に登ったことを話しました。筑波山神社でお詣りし、その後ケーブルカーで登ったこと。ちょうど紅葉が美しく感動したこと。また、女体山の頂上からは関東平野が見渡せ、その景色の素晴らしかったことなどを話しました。彼女の笑顔が弾けそうでした。
銚子から車で行けばつくば市までは3時間くらいで行けそうです。もしかしたらこの小野さんとは生涯の友人になるかも知れないとの予感がしています。因みに彼女は商学部だそうです。父親が会社を経営していて、社会・経済の仕組みを学びたいのだそうです。
これから病気やその他、困ったことがあったら助け合いましょうねと約束をしました。私はこのアパートに決めて大正解だったと、その晩、床に就くときに涙が出そうなくらい嬉しくてなりませんでした。
翔ちゃん、これで私からのなが~い手紙を終わりにします。最後まで読んでくれてありがとうね。私の想いをすべて伝えられたかが少し心配です。ですが近く帰省しますので、その時にいろいろお話ししましょうね。その日が決まりましたら連絡します。翔ちゃんに早く逢いたいです。 それではまたね。
美咲ちゃんからの4回目の手紙が届いた。こんなに長い手紙を貰うことなど生涯二度とないと思う。美咲ちゃんが自ら選んだ人生の目標を、私と共有したいとの懸命さ、必死さが充分伝わった。私は嬉しかった。この手紙の長さは美咲ちゃんの私への愛情の深さと比例しているのだと嬉しかった。
以前私は、銚子電鉄君ヶ浜駅で美咲ちゃんと待ち合わせをしたことがある。君ヶ浜の白砂青松の浜を歩き、大波で二人は重なり倒れた。その時、互いの顔と顔とが目と鼻の先になった。その時私は、美咲ちゃんに口づけをしようとした。美咲ちゃんとの愛の誓い、いや今後の愛の確証が欲しかったのだった。その時、美咲ちゃんは私の唇を右手で覆って拒んだ。私は、美咲ちゃんの私への愛情を一瞬疑い、そしてこれから二人はどうなってしまうのかと不安に怯えた。
でも、美咲ちゃんから今回の手紙で教えられた。例え口づけなどの男女の交わりはなくても、愛は存在するものだと。美咲ちゃんは、私に愛と信頼とを寄せてくれている。これから先、きっと何があっても二人の絆が切れることはないと私は信じる。きっとこの想いは、例え彼女が半世紀後に古希を迎えようと、その先の傘寿を迎えようとも、ちっとも変わらずに愛し続けることが出来ると拳を強く握った。
話しは戻るけれど、美咲ちゃんから最初の手紙を受け取ったのは、叔父の経営する不動産会社で働くためにあと数日したら上京しようとしていた矢先だった。この時美咲ちゃんは、私が上京することは知らなかった。それは、私が叔父の会社で働くことが余りにも急に決まったからだ。
美咲ちゃんからの長い手紙には、また直ぐに手紙を送ると書いてあり、2回目の手紙でもまた同じことが書いてあった。更に3回目での手紙も同じだった。私は、美咲ちゃんの手紙を全部読んでから上京したいと考え、叔父に上京を1週間程度遅らせて貰えるように電話をした。叔父は、何か用事があるのなら特に急がずとも構わないと了承してくれた。
最後の手紙を読み終えた私は、その夜の8時頃に携帯電話を掛けた。登録した名前を押せば美咲ちゃんに瞬時に繋がるものを、臆病な私はやっと重い腰を上げることができた。数回ベルの音がして美咲ちゃんの声が聞こえた。
「美咲ちゃん?俺、今日最後の手紙を読んだよ。ありがとうね。随分頑張って書いてくれたね」
美咲ちゃんは驚いたようだった。
「翔ちゃん?突然でびっくりしちゃった!長い手紙を読んでくれて、どうもありがとうね」
「やっと分かったよ!美咲ちゃんがどうして養護教諭になりたかったのか。でも、大変な仕事なんだね、養護教諭の仕事って。俺も応援するから、頑張ってね」
「ありがとう!うん、頑張るからね。わざわざ電話してくれてありがとうね。今月中に実家に帰るからその日が決まったら連絡するね」
私は、肝心な話しをすることをやっと思い出して言った。
「美咲ちゃん、あの、あのね。実は東京で働くことになったんだ。東京の大田区の蒲田っていう駅の近くで叔父が不動産の会社をやっていて、来週からその会社に行くことになったんだ。美咲ちゃんと同じ東京だから、いつでも逢えるかと思って」
美咲ちゃんからは呆気にとられたのか、しばらく返事がなかった。
「翔ちゃん、本気なの?キンメダイ漁はどうしたの?よくお父さんやお兄さんが許してくれたわね!もちろん、私も嬉しいけれど信じられないわ!翔ちゃん、あれ程お父さんより立派なキンメダイの漁師になるんだって言っていたじゃないの!」
私は3年間だけの条件とは言えなかった。それを話したら、美咲ちゃんに愛想を尽かされそうな気がした。
「とにかく、来週から東京に行くから、一度会ってくれないかな?」
美咲ちゃんは、まだ混乱しているようで、また沈黙が続いた。
「もしもし、美咲ちゃん、どうしたの?聞こえてる?」
暫くしてから、やっと美咲ちゃんの返事が返って来た。
「分かったわ!多分日曜日は不動産屋の会社はお休みじゃないと思うから、お休みの日が分かったら教えて頂戴ね。授業のある時間は無理だけど、午後4時くらいなら多分大丈夫だと思うから」
私は、会社の休みの日が分かったらすぐ連絡すると伝えたが、何処で逢ったら良いのかが分からない。
「美咲ちゃん、俺、東京は初めてなんで。美咲ちゃんにどうやって逢えば良いのか分からないよ!」
すかさず美咲ちゃんが言いました。
「大丈夫、何も心配ないわ。翔ちゃんの京浜東北線蒲田駅の1番線ホームの一番前辺りで待っていて。時間は、後からまた連絡するわ。それからカフェでなく静かな所を歩きましょうね」
美咲ちゃんは、まだ銚子から東京の大学に入学してひと月余りの筈なのに、良く知っているのに驚いた。そう言えば、いつだったかご両親と横浜中華街に食事に来たことがあったと聞いたことがあったのを思い出した。
さて、私のサラリーマン生活が始まる。「銚子駅前通り商店街」で父がスーツと革靴を買ってくれた。兄は、ワイシャツとネクタイを買ってくれた。私は兄よりも一回りやせている。父と兄との一緒の買い物だったので、私の体に合ったそれぞれの物を買うことが出来た。
私は叔父が用意してくれた大森駅からバスで10分位の所にあるアパートを8時半頃に出た。朝食は菓子パンと牛乳だけで済ませた。まだ何もわからない。そのうち、慣れたら自炊でも始めようかと思った。
叔父の会社は、宮内不動産という名の一応株式会社だ。叔父から聞いていた会社の営業時間は午前10時から午後の6時までとのことだったが、初日くらいは早く行き社員の机の拭き掃除でもしたいと思った。
私が緊張した面持ちで入り口のドアを開けると、何と社員は皆それぞれの机のパソコンに向かっている。
私に気付いた若い女性社員は、立ち上がり笑顔で言った。
「宮内さんですね。社長から伺っています。宮内さんの机はこちらです。もう直ぐ社長が見えられると思いますので、少しお掛けになって待ってくださいね」
私は、間が持てなくてきょろきょろしていると、先程の女性がお茶を持って来てくれた。私は、小さな声で有難うございますと言い、また辺りを見渡した。
社員の数を数えてみると5人だった。男性が2人に女性が3名だった。年配の男性は、40過ぎの髪の毛が薄く赤ら顔をしていた。もう一人の男性は30代前半かと思われる背の高い、いかにも仕事のできそうな感じのする人だった。
女性はと言うと、一番年上に見えた人は、多分50代かと思われる少し化粧の濃い、だが仕事には厳しそうな感じのする女性だった。二人目の女性は30代半ばで、既婚者と分かるような生活臭が感じられた。3人目は先程、お茶を出してくれた女性だ。さっきは緊張していて気付かなかったけれど、なかなかチャーミングに見えた。私と同年代くらいだろうか?表情にまだ幼さが残っている。
10分も経っただろうか?叔父の社長が玄関から入って来た。社員は全員立ち上がり、大きな声で「お早うございます」と挨拶した。叔父の社長が席に着くと、先ほどの若い女性社員は間髪を入れずにお茶を差し出した。社長は、お茶を一口すすると立ち上がって言葉を発した。
「皆には先日話したと思うけど、今日から私の会社で働くことになった甥の宮内翔太だ。甥といっても仕事では、例え兄弟も親戚も関係ない。私に遠慮することはないから、厳しく指導してやってくれ。
今日から、堀越君、今月いっぱい翔太の面倒を見てやってくれ。まだ、仕事は教えなくて良いから、この会社や仕事の雰囲気に早く慣れるように、いつも一緒に連れて歩いてくれ!」
赤ら顔をした社員は「分かりました」と大きな声で返事をした。私は立ち上がり「宜しくお願いいたします」と深くお辞儀をした。
「それじゃ、みんな自己紹介をしてくれないか」
社員がそれぞれ名前を言いながら、宜しくお願いしますと順番に私に向かって声を掛けてくれた。その場で、直ぐに覚えられた訳ではないが、一番年配の女性の名は谷口良枝といい、30代の社員は木村道子と名乗った。私と同年代の女性は「この4月からお世話になっております渋谷由香里と申します。どうぞよろしくお願いします」と深々と私にお辞儀をしてくれた。
赤ら顔の私を指導してくれる男性は堀越達夫と名乗った。もう一人のいかにも仕事のできそうな社員は高橋義孝と言った。
社員の挨拶が済むと社長は私に向かって、ひと言話すように小さな声で言った。
「宮内翔太と申します。千葉県の銚子の生まれです。実家は漁師です。私は東京は初めてです。ですので、何も分からず皆様にはご迷惑をお掛けするかと思います。どうかよろしくお願いいたします」私は頬が熱くなっているのを感じながらやっと話した。
自己紹介が済むと、私は叔父の社長室に呼ばれた。
「翔太、これからは私のことを社長と呼びなさい。私の会社に入ったのだから、もう叔父と姪の関係ではなく、社長と社員の関係だ。お前も他の社員と同じ扱いだ。甘えは許されない。
お金も貰う以上プロなのだ。今日から一人前になれとは言わないが、覚悟して仕事に就いてくれ。会社を経営するということは、社員の生活を守るということだ。少しオーバーに言えば、命がけなんだ。社員にもそのことを分かって貰ったうえで、一緒に頑張ろうと常日頃話している。これからは、お前を呼ぶときは、宮内だ。お前の父親からもよろしく頼むと言われている。どうか頑張ってくれ」
叔父の言うことに姿勢を正して聞いていた私は、これからこの会社でやっていけるのかと不安でならなかった。
ひと月も経たない内に、私に信じられないことが起こった。宮内不動産に勤めるあの若いチャーミングな渋谷由香里さんから「私に東京を案内させて頂けませんか?」と申し出があったのだった。
つづく