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課題テーマに挑戦「海の漁師」第6回

2019年11月14日

 課題テーマに挑戦「海の漁師」第6回

今朝は5時に起きて、コーヒーを飲みながらパソコンに向かっています。

ふと思いついて、今回の課題テーマ「海の漁師」のストーリーを書いてみることにしました。まだ、鰺ヶ沢漁港のことやそこで働く漁師さんのことについての知識が定かではなく、的外れな内容になってしまう可能性がありますが、でも次回に繋がることになるかと思い書いてみました。思い付きで、文字を打っていっただけですので、改めて見直すと修正箇所がたくさん出て来ると思います。

物語を書くのも、作詞をするのも、書いて修正しての繰り返しの中から、閃きが生まれます。ですので、初めから完璧なものを求めても天才でもない限りそれは不可能だと私は思っています。

(アイキャッチの画像は私の住む茨城県の大洗海岸です。上の画像は鰺ヶ沢漁港です。鰺ヶ沢漁協さまより転載させて頂きました)

   「海の漁師」 ストーリー

鰺ヶ沢漁港で生きる幸夫は、もう50を過ぎ白髪も目立ってきた。漁に行くときは、息子の拓海と二人で力を合わせて網を引く。

この拓海は、約25年前に亡くなった友人の子どもだった。

幸夫は、幼馴染の友人の漁師を時化で亡くし、一時は漁師を辞めようと思った。だが、友人のためにも自分の生きる道は「漁師」しかないと考え直した。幸夫は、当時まだ独身だった。

友人は、妻の香里とまだ幼い3歳の拓海が遺して逝った。幸夫は大漁の折には、獲れたばかりの魚やおもちゃなどを届けた。何度かそうしているうちに、幼い拓海がなつくようになった。幸夫は、この拓海が可愛くてたまらなくなり、漁の休みの日には遊園地などに3人で出かけるようになった。別れ際、拓海はいつも大泣きをした。

幸夫は、ある日いつものように届け物をし、以前から覚悟を決めていたことを香里に伝えた。

「拓海ちゃんの親父になりたい!」

香里は、一瞬驚いたような表情をしたが、下を向いて返事はしなかった。

数日の後、鯛を持って訪れると、拓海が抱きついて来た。拓海を抱き上げながら香里を見ると、明らかに意を決した女の晴れやかな表情が見てとれた。

幸夫は、拓海を自分の子として真心を持って育てることを約束した。香里は、涙を流した。

いつしか時は過ぎ、拓海は水産高校へと進学した。その頃、幸夫は鰺ヶ沢漁協での主に定置網漁を仲間と行っていたが、拓海の卒業を見据えて独立の準備を始めた。

拓海には、まだ真実を話していない。二十歳になってから話すつもりだ。出来ることなら、その日は来ない方がいい。拓海の反応が怖いからだ。今まで、ずっと実の子どもと思い育てて来た。拓海も、実の親だと思っている。人情豊かなこの鰺ヶ沢の人々は、誰も拓海親子を温かく見守っている。誰もがそんな話は酒を飲んだ時でも口にすることはない。

仏壇の写真は、兄の若かった時の写真と言ってある。物事には、真実を話した方が良い場合と、そうでない場合とがある。香里はいつか話して欲しいと願っている。

拓海は晴れて水産高校を卒業した。本当は、幸夫の漁師仲間に頼み数年間は修行をさせるつもりだった。だが、拓海は親父に教わりたいと言った。幸夫は持ち金と借金とで、自分の船を持った。

こうして親子の漁師が誕生した。

 

思い付きで書いたストーリーですが、もう少し鰺ヶ沢漁港での漁師の方の仕事を勉強しないと、地元の方に笑われる内容になってしまう可能性があります。車で出かけられる距離なら直接取材に行きたいところですが、つくばから鰺ヶ沢町までは多分800キロ以上あるかと思われます。ちょっと出かけて来ますとは簡単に言えない距離です。

以前、「ふるさと増毛」や「高知わたしの故郷」また「思川慕情」の時も、分からないことがあって悩んだ時は、市の観光課の方や観光協会の方に直接お電話をして伺ったことがあります。皆さん、丁寧に教えて下さいます。鰺ヶ沢漁協の方にもお電話をさせて頂く必要が出て来るかも知れないと思っています。

次回の内容はまだ決めていませんが、この「海の漁師」のストーリーも知識不足です。その辺を考えて、次回はアップしたいと思います。

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