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課題テーマに挑戦「金沢市」第7回

2020年04月25日

 課題テーマに挑戦「金沢市」第7回

今回の課題テーマに挑戦「金沢市」は、初めに「金沢市」の様々な角度からの画像により全体を見渡し、その中からいくつかの画像を抽出し、歴史及び文化を学び、作詞作業に近づけていくという方法をとることに致しました。

既に42枚の画像をアップさせて頂きました。ですが、まだご紹介が済んでいない画像が残っております。あと1~2回の画像アップの必要があると考えています。第7回は、「神社」と「お寺」に焦点を絞りました。さっそくご覧いただきます。アイキャッチの画像は「尾崎神社(おさきじんじゃ)です。

尾崎神社は、1643年(寛永20年)加賀藩四代藩主前田光高が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立されました。朱塗りで彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図ともいわれ、明治11年、金沢城内に陸軍省が駐屯することとなり、現在地に移築されました。本殿、拝殿・弊殿、中門、透塀等は国の重要文化財に指定されています。

上の画像は「尾山神社」です。尾山神社は、加賀藩祖・前田利家公と正室お松の方を祀る由緒ある神社です。国の重要文化財にも指定されており、特に、最上階にはめ込まれたギヤマンは美しく、訪れた人を魅了します。日本現存最古の避雷針が施されているので、ぜひご覧ください。日没後から夜の22:00まではライトアップがされていて、光に浮かび上がる様子は幻想的な雰囲気です。兼六園・金沢城から長町武家屋敷や繁華街を結ぶ場所にあり、観光の途中に気軽に立ち寄ることができます。

この画像は「宝円寺(ほうえんじ)」です。この宝円寺は、初代利家が建立した寺で、開山は利家が越前府中(現武生市)時代に帰依した大透圭徐禅師です。この寺は藩主一族の位牌が安置された前田家の菩提寺です。墓所内には、利家の自画像と髪を納めた御影堂・御髪堂や江戸初期の画聖俵屋宗達の墓があります。

このお寺は「妙立寺(みょうりゅうじ)」です。「忍者寺」と呼ばれ、落とし穴になる賽銭箱、床板をまくると出現する隠し階段、金沢城への抜け道が整備されていたとされる井戸などの仕掛けが、寺のあちこちで見られます。創建当時、徳川幕府と緊張状態にあったため、襲撃に備えて出城・砦の役目を果たしていました。外観は2階建てですが、実際は7層になっていて、23部屋と29階段もあると言われています。

このお寺は「妙像寺(りゅうぞうじ)」です。創建に三代利常の祖母・寿命院の再婚先小幡家が木材を寄進。そのため小幡家の定紋松皮菱が欄間に彫られています。第22世日輝上人が子弟訓育のための充治園を創設。日蓮宗近世教学の発祥地とも言われました。境内にはキリシタン灯篭があります。

「本光寺」です。このお寺は、二代利長に伴い守山、富山、高岡、泉野寺町、小立野など転々と移りました。慶安3年(1650)、三代利常から現在地に900坪を給り、堂宇を建立。現在の境内は2,000坪。狂歌師・堀越左源次、北海道開拓・林顕三の墓などがあります。
   ※ 堂宇(どうう)四方に張り出した屋根を持つ建物。お寺の本堂・講堂などをいう。

今回の神社及び寺は、わたし原科香月の独断で選ばせて頂きました。詳しい方ならもっと別な神社や寺をアップされたかも知れません。今回も画像及び紹介文は金沢観光協会さまの「金沢旅物語」から抜粋させて頂きました。

このブログに誤り等がありましたら、お問い合わせコーナーからご指摘いただけましたら幸いです。尚、現在は新型コロナウィルスで大変な時期です。金沢市からも、今回の騒動が収束されてからご訪問いただきたいとの要望が出ております。ご協力をお願いいたします。

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