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創作の小部屋「醜い母の顔」

2020年10月09日

 創作の小部屋「醜い母の顔」

いきなり初冬のような寒さになりました。ついこの間まで、猛暑で熱中症の心配をしておりましたが、この寒さは早すぎます。

紅葉も一気に進むことでしょう。茨城には、筑波山・袋田の滝・奥久慈渓谷ほか、紅葉の美しい所がたくさんあります。県外の方にも、茨城の美しい紅葉をご覧いただけたらと思います。

本日は、母親の強さと優しさを小さな物語にしてみました。短いですが、ご覧頂けましたら幸いです。

    醜い母の顔

私は、物心がついた頃から、母の醜い顔が嫌いだった。

母の顔には、おおよそ10cmくらいの縫合した傷跡がある。その傷は、額から目を通り越して、頬にかけ斜めに走っている。初めて見る人は、顔を背ける。

幼稚園の頃はよく覚えていないが、小学生になると母のこの傷跡が気になり始めた。

昔は、父兄参観日という、保護者が自分の子供の授業風景を実際に見る行事あった。私の母が来ると、級友たちは騒めいた。また、父兄と言っても皆母親たちばかりだけれど、私の母の傍から離れたがった。私は、いつからか母には来て欲しくないと思うようになった。

その想いは、中学生になってから特に激しくなった。些細なことで母に反発した。中学3年の時の三者面談の時も、来て欲しくなかった。だから母には言わなかった。担任の先生から母に連絡が入り、母に叱られた。なぜ話さなかったのかと。

私は、愚かなことについ大声を出してしまった。

「お母さんに、来てもらいたくないから!お母さんの顔を見ると、みんなビックリするし、先生に知られたら恥ずかしい!」

母は、台所に行って声を殺して泣いていた。

その後、私はある県立の高校を卒業すると、地元の信用金庫に勤めた。3年くらいしてから、職場のある男の人と交際して、結婚の約束をした。彼が、私の母に会いたいと言ってきたとき、私の心は大きく動揺した。母の顔を知られたら、この縁が切れるような気がして、しばらく返事が出来ずにいた。

敏感な彼から、こう告げられた。

「祐香は、僕をお母さんに会わせたくないようだ。本当に結婚するつもりがあるの?」

この言葉には驚いた。私は、正直に話さざるを得なかった。話し終えたら、別れの言葉を切り出されても仕方がないと覚悟を決めた。

「馬鹿だなあ!お母さんの顔に大きな傷があったとしても、祐香ちゃんと僕との結婚には全然関係ないことじゃないか!」

彼は本気で怒って言った。私は、涙で何も見えなくなり、彼の胸に飛び込んで泣いた。

二人で信用金庫の理事長に仲人をお願いした。理事長は、とても機嫌が良かった。

結婚式当日、無事に式次第が進み、終盤に差し掛かった頃、司会者から次のような案内があった。

「皆さま、本日の披露宴も余すところ僅かとなって参りました。実は、本日の予定にはなかったことですが、先ほど新婦のおばあさまから、どうしてもこの会場で、この場でお話ししたいことがあるので、少しだけ時間を頂きたいとのお申し出がありました。大切なお話のようです。皆さま、よろしくお願いいたします」

全くこの件について何の相談もなかった私は驚いた。祖母はいったい何の話をする気なのだろうかと少し不安になった。

会場係の人が、祖母をマイクのある新婦の隣まで誘導し、マイクを渡した。祖母はマイクを受け取ると深々とお辞儀をした。

祖母は、とつとつとではあるが、はっきりした口調で語りだした。

「私は新婦の祖母のハルエと申します。本日はお忙しいところご出席いただきまして、誠にありがとうございました。お時間を少し頂戴させて頂きます。

実は、祐香には長年隠していたことがございます。その訳を、今からお話しさせて頂きます。多分、本日以外に、その秘密を話す機会は二度と来ないような気がするからでございます。随分迷いましたが、先ほど司会の方に無理を言って、お時間を頂きました。

今からお話しすることは、もう20年も前から、祐香の母真由美から、決して口外をしてくれるなと哀願されていたことです。

祐香の母の真由美には、顔に大きな傷があります。その訳を、今日、祐香の前でお話しさせて頂きたいのです。

祐香が2歳になったばかりの冬の寒い雨の夜でした。祐香は40度の熱を出しました。その晩は生憎、祐香の父親は夜勤でしたので、真由美はタクシーで病院に向かいました。病院の玄関で降り、しっかり祐香を抱きかかえ救急外来へと走りました。

その時です。照明が暗く、雨でぬれた階段で滑り、真由美は転倒しました。とっさに祐香を庇ったまま、その手を放すことなく、真由美は顔面から倒れ込みました。真由美の額から頬にかけて大きく皮膚が割れて血だらけになりました。

真由美の叫び声に、看護師さんが駆け寄り助け起こし、治療室に運びました。真由美の顔面にガーゼを当て、恐る恐る抱きかかえていた祐香を、真由美から引き離しました。白衣の看護師さんは滅多なことでは驚きませんが、その時、幼児がかすり傷ひとつ負っていないことに深く感動したそうです。

『私のことより、子どもを診て下さい。熱が40度もあります。急いでお願いします。前にひきつけを起こしたことがあります。急いでください』

真由美は看護師さんにそう言ったと、後からその看護師さんから聞きました。

真由美は、祐香にこのことで生涯負い目を感じさせてはならないと、生涯話さない覚悟でおり、母の私にも固く禁じました。

今日は、私の独断でお話しさせて頂いております。この後、真由美から強い叱責を受けることは覚悟しております。

このことが原因で、祐香の父親とも別れることになり、益々真由美は祐香に申し訳ないと、私の前で何度も涙を流しました。

この訳を知らなかった祐香も、さぞ辛いことが沢山あったことと思います。小学生の頃、お化けの子どもと学校帰りに男の級友たちから囃し立てられているのを聞いた覚えがあります。私は、何も気にすることはないと、それだけしか言えませんでした。

祐香、私は今、後悔しています。お前の母から止められていたことを、今になって、この晴れの舞台で、なぜ話したのか?話してお前のために、本当に良かったのか?馬鹿な年寄りです。皆様、どうかお許しください。そして、この二人をこれからも温かく見守ってください。どうか、よろしくお願いいたします。

最後に、祐香一つだけお願いがあります。将来、生まれて来る子どもは命を懸けて守ってください。お前の母親のように・・!」

祖母の話しが終わると、私は母の元に駆け寄り、その胸に飛び込みました。

「お母さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。あんなに酷いことを言って・・ごめんなさい・・・」

会場には、祐香の泣き声が響き渡りました。

信用金庫の理事長、新郎とその両親、そして招待客、また式のお世話係の方まで、すべての人々が嗚咽しました。しばらくの後、会場は祐香の母親への賛美の拍手と歓声に包まれました。

その日から祐香にとって、母の顔の傷は、自分を無事育ててくれた勲章となり、そして子育てへの戒めとなりました。             おわり

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