明石の母~つくばの学び舎にて~
2018年10月13日
明石の母~つくばの学び舎にて~
この「明石の母」の作詞のきっかけですが、この春(18年)つくばの大学に遥か遠い明石市から入学された方と話す機会があったことです。
明石市からここつくばまでは、どの位の距離があるのかは分かりませんが、地図で見ると神戸の先です。つくばからはとても遠く感じます。ですから、明石から見るつくばも同じかと思います。
「どうして、こんな遠くの大学に来たの?兵庫や大阪また東京にもたくさん大学はあるのに。」とお聞きしますと、この春入学された大学でなければどうしても学べないことがあるからと返事をされました。
「お母さんは、つくばに来ることに反対しなかったの?」と続けてお聞きしますと、家から通える大学にして欲しいと仰っていたそうです。ですが、息子の希望を最優先して許してくれたそうです。私も、この大学生のお母様と似たような経験をしましたので、そのお気持ちが痛いほど分かりました。
初めは、息子さんが元気でいるよというメッセージの歌詞にしたいと考えましたが、明石のお母さんのことを考えますと、やはり息子さんからお母さんへの感謝の気持ちを表現した方が良いのではと考え直しました。
初めは主人公を男性にしようと思いましたが、女性の方が作詞がし易く感じましたので女性に致しました。(右側の女性が主人公の陽菜さんです)
前回の「鳥海山物語」は、短編小説のような物語をつくり、それを基に作詞をしましたが、今回は「女子大学生が、遠い明石の母に書いた感謝の手紙」を基に作詞を致しました。
実際は字脚などの兼ね合いもあり、手紙の内容とは若干違う内容の歌詞になりましたが、特に問題は無かったと思います。自分で書いた作品への評価は、しばらく時間が経たないとできません。果たして、明石のお母さんに喜んでいただけた歌詞になったでしょうか?
この大学生のお母さんに聴いて頂けることが、私の一番の願いです。
作詞 明石の母~つくばの学び舎にて~
1番 後ろに流れる海峡大橋
列車は東に向かって走ります
私は遠いつくばの学び舎へ
初めて明石を離れます
お前の人生悔いないように
一人残した母の優しい言葉
膨らむ想いも涙溢れて
2番 多くの仲間と楽しいキャンパス
空には凛々しくそびえる筑波山
いつしか時は流れて蝉しぐれ
今夜の食事は明石焼き
宿舎のみんなに振る舞う私
むかし母子で行った住吉神社
羽ばたけ夢へと絵馬にひと言
3番 つくばは私の第二のふるさと
この地でしっかり陽菜は学びます
ひたすら夢を叶えるその日まで
一人で暮らして知りました
私を愛するあなたの心
母は私の自慢わたしの誇り
あなたの子どもでずっといさせて
※ 母子 → おやこ 陽菜 → はるな
「明石の母~つくばの学び舎にて~」の作詞プロセスは、18年4月の「次回課題テーマについて」より9月6日の「明石の母 作詞完成」まで、計20回に及びました。