小鳥

ブログ

創作の小部屋「独居老人のひとり言」第3回

2019年03月28日

 「独居老人のひとり言」第3回

今日のつくばの天気は薄曇りです。菜の花は咲いていますが、桜も今日辺りから2分咲きぐらいになるのかなとに思います。夕方、桜の木に囲まれた近くの池の土手を歩いてみたいと思っています。

「独居老人のひとり言」第3回をアップいたします。

  「独居老人のひとり言」第3回

第2章 一人になって

妻が亡くなり、私は一人で生活することになった。新しい仏壇には、庭や散歩の途中の畦道に生えた草花などをまめに飾った。私は、夫婦の死についてなど考えたこともなかった。平均寿命といわれる80歳ころまでは、二人で楽しく生き続けられるものと信じていた。

妻は、「重要書類」と赤い字で張り紙した箱の中に、生命保険証書や預金通帳と印鑑そして年金手帳、また家の権利書などを、私がいつも使う本棚の引き出しに入れて置いてくれた。そのため、葬儀費用やその他の出費も、息子夫婦に迷惑をかけることは何もなかった。

しばらくは、妻の生前の笑顔や台所に立つ姿を思い出しては瞼を濡らしていた。こんな筈ではなかったと、何度も繰り返しつぶやいた。どちらかが死ぬという事態があった場合、もし選択権があるならば、私は迷わず自分が死を選ぶ自信があった。

昔、息子の幸喜が幼稚園から小学生の頃、よく喘息の発作を起こした。決まって夜中だった。掛かり付けの病院に電話して、救急外来に向う途中、いつも同じことを考えた。

この幸喜がもし病気で死ぬようなことになったら、そして神様が私の命と引き換えに息子の命を助けてあげてもいいよと言ってくれたなら、私は躊躇せずに、少しも恐れずに死を選ぶことが出来るだろう。もし、将来不良になったとしても、生きていてくれた方がどれだけ嬉しいだろう。

幸喜の喘息が収まるようになった頃まで、同じ思いを繰り返した。

私は、60歳の定年退職後から年金が貰えた。45年という歳月を会社に捧げたのだったが、年金の額は私一人でも贅沢は許されないほどで落胆せざるを得なかった。妻が生きていれば、年金生活も楽に生きて行ける筈だった。スーパーでの買い物も、生鮮食料品の金額を表示したラベルを張り替える時間に合わせ、遅らせて行くというようなことは考えもしなかったと思う。

年金制度というものは、今まで会社のために頑張って働いてきたのだから、これからの人生はお金のことは心配しないで、楽しい余生を送って下さいと国から頂けるものと安易に考えていた。現役当時に社会保険料を給料天引きだったことは知っていたので、もちろん預金が帰ってきたものだとも言えるとも思ってはいた。

とにかく、これから大きな病気をしたり、郁々は老人施設への入所することになるのかななどと考えると頭が痛くなるので、最近は考えないことにしている。

何度も言うが私は心から妻を愛していた。いや、今でも愛している。最近は、夜が怖いのである。いつも隣で軽い寝息が聞こえていた部屋の中は、私の息づかいの他は、何の音もせず静かすぎるのである。いつも妻の寝ていた枕の辺りに目をやり涙を流す、その繰り返しであった。        つづく

原料香月の作詞の小部屋 お問い合わせ


ブログカテゴリー

月別アーカイブ

ページトップへ