創作の小部屋「函館物語」第7回
2022年02月28日
創作の小部屋「函館物語」第7回
突然、恐ろしい事態となりました。ロシアがウクライナに侵入したため、両国の戦争となり、双方に多くの犠牲者が出ているようです。現在は21世紀です。先の大戦の愚かな歴史を繰り返すような、ロシアのこの行為は許されるものではありません。いつも弱いものが犠牲になります。世界は、ウクライナを応援していますが、現実はウクライナは孤軍奮闘という気が致します。
各国の武器の援助は、より多くの犠牲者をもたらすことにしかならず、少しもウクライナの国民の不安を解消することにはなりません。世界が一丸になって、和平への道を切り開くべきです。日本もそのためにもっと大きな声を上げる必要があります。
創作の小部屋「函館物語」第7回
第7章 見晴公園(香雪園)でのデート
初めて真知子さんと出会ってから、3ヶ月を迎えようとしていた。今日は真知子さんとの2回目のデートの日である。行く先は、真知子さんの希望で見晴公園となった。函館駅からバスで行くことになっている。待ち合わせは10時である。私は真知子さんと会えると思うと、どうしても早く目が覚めてしまう。新聞を読んで時間を潰そうとしても、集中できない。それで、つい早く来てしまう。私は嬉しくて、多分締まりのない顔をしている。真知子さんには、どう映るのかが心配だ。
約束の10分前に真知子さんはやって来た。
「真知子さん、おはよう。今日は、少し早いじゃないの」
私がそう言うと、少し意地悪そうな顔をして言った。
「おはよう。いつも私より早いのね。今日はね。お昼のお弁当を、一人分しか作らなかったからね、早く来られたの」
真知子さんは私を困らせる。だが、すぐ笑顔にもどる。その時の真知子さんの表情が私には愛しい。定時にバスはやって来た。バスの乗客はまばらだった。前の座席に二人並んで座った。少しすると真知子さんは、さっそく昨日の昼の話をしてきた。
「晴彦さんは病院の廊下ですれ違う時、知らない振りをするけど、私と病院の中で会うのが嫌なの?」
職場の皆は交代で、昼食を職員食堂で取る。何人かの同僚と食堂へ向かう時、廊下で真知子さんにすれ違うことがある。そんな時、真知子さんは小さく咳払いをする。私は知らない振りをして、通り過ぎる。
「真知子さん、誰もいないなら別だけど、他の人も一緒だから、恥ずかしいよ」
「じゃあ、何、私とは病院の中では会いたくないというの?」
最近の真知子さんは、私を困らせるようなことをわざという。私は返事に困って、急いで話題を変えようとした。今日の真知子さんは、ベージュのスラックス姿に白い靴。とてもよく似合う。
「真知子さんは、いつもセンスが良いね。僕は田舎者だから、妹に野暮ったいって言われてるよ」
すぐ仲直りをする。そして特に意味のない話しで盛り上がる。真知子さんは、今日も明るい。真知子さんの横顔を見つめながら、私は今日も幸せ感で一杯だ。
二人で手をつないで入った見晴公園は、新緑一色で覆われていた。吸う空気までもが、美味しく感じる。深呼吸をすると、新鮮な血液が体の隅々までも流れるような気がした。
園内には家族連れや年配のご夫婦が目立った。なかには、私たちのようなカップルも何組かおり、それぞれ自分達だけの世界を闊歩している。
函館というと五稜郭公園が有名だけど、この見晴公園はその五稜郭公園の倍の敷地があるそうだ。そもそもこの公園は、明治時代の豪商岩船家が別荘として造られたものだという。それを岩船家がトイレなどを整備し、一般に開放したものらしい。岩船家は親子三代に渡り私財を投げ打って、この見晴公園を造ったのだそうだ。
別名、香雪園という。大正期に来函した京都の浄土宗知恩院の貫主に「雪の中に梅香る園」という意味で名付けられたとのことだ。
いわれの碑の前では、真知子さんは立ち止まった。
「この公園は、岩船家から呼ばれた、京都の庭師・辻地月が、内地からヒノキとかヒバとか150種くらいを取り寄せたらしいの。数にしたら6000本から7000本くらいらしい。桜の木も200本くらいあるから、少し前に来ればすごい眺めだったと思うわ。もちろん紅葉の季節は、それはとても奇麗なのよ」
さらに真知子さんは続けた。
「その庭師の辻地月という人は、庭師の他にもお茶やお花の師匠でもあったので、公園内の枯山水や園庭には特に力を入れたということみたい。ごめんなさいね。こんな話あまり面白くないでしょ?実は、昨日の晩、百科事典で調べたの」
真知子さんは、少しも悪びれずに、笑いながら言った。
「このカエデ並木を行った先に、芝生公園があるから、そこでお弁当を食べましょう。しばらくゆっくりして、それから園停を見に行きましょう?」
今日の真知子さんはいつもより饒舌だ。女の人は無口の方が良いという人もいるが、その時による。この美しい新緑の中では、無口でいることの方が難しい。真知子さんは、紅葉の季節には何度か来たことがあるが、新緑の季節は初めてだと前に言っていた。今日の私は、真知子さんの言うがままに、素直に付いていくことにした。
ふいに立ち止まって、真知子さんが言った。
「昨日ね、母から明日買い物に行かないかと誘われたの。でも、明日は出かける用事があるから、また今度にしてって言ったの。そしたらね、最近付き合っている人がいるのかって急に聞いたの。何か最近、私が今までと違う雰囲気がするんだって!」
そこまで話すと晴彦の顔を見つめてまた言葉を続けた。幾分、顔が少し上気しているかのようだった。
「私、一度だけど立待岬に行った職場の男性がいると、正直に話したの。そしたら、お前が好意を持っている人なら、そのうち一度お家に呼んだらって言うのよ。どう思う、晴彦さん」
私は返事に困ってしまった。もちろん真知子さんが大好きだ。ずっと一緒にいたい。それが結婚というものなのかも知れない。だが、真知子さんと知り合って、まだ2ヶ月になったばかりだ。それに私はまだ22才。就職したばかりで、仕事もまだ半人前だ。もう少し自分自身に自信が持てるようになってから、真知子さんの両親には会いたいと思った。
真知子さんの母は心配なのだろう。苦労をさせずに育ててきた娘だ。その娘が、一体どんな男と付き合おうとしているのか、一度顔を見たいと考えたのだろう。
「真知子さん、まだ僕は22歳だ。だからどうということはないけど、まだ社会人として若すぎると思っている。まだ、真知子さんのお母さんに会うのは早すぎないか心配だ。あと、2年くらい後なら、自信をもって会えるような気がする。だから、もう少し待ってくれるように、お母さんに話して欲しいんだけど。もちろん、真知子さんのお母さんにぜひ会いたいとは思うけど」
私は大好きな真知子さんとずっと一緒にいたい。本当は、年齢なんかに関係なく、出来ることなら明日にでも結婚したい。真知子さんのお母さんが会いたがっているということは、二人の将来を見据えているということかと思い私は嬉しくなった。
真知子さんは、また私を困らせることを言った。
「やっぱり男の人と女の人は考え方が違うのね」
私には、この意味が分からない。だが、私たちも真知子さんのお母さんも、二人の結婚ということを意識している。友人たちの話では、女性にプロポーズするまでが大変らしい。断られたらどうしようとか考えて、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟でするものだそうだ。それが、私たちはまだ2回目のデートだというのに、既に親をも巻き込んで結婚を前提にしているかのようだ。
芝生公園では、真知子さんが用意したビニールを芝の上に広げ、二人は座った。
「今日は、真知子さん、サンドイッチなの?美味しそうだね。立待岬で食べたお弁当も美味しかったけど。真知子さんは、料理が上手なんだね!」
私はお世辞ではなく、本当にそう思った。ツナや卵、それにハムとレタスのサンドイッチなどたくさんの種類がある。見た目もキレイだ。真知子さんの手作りの料理が食べられる。こんな幸せな日が訪れるなどとは、数か月前までは夢にも思わなかった。私は余りにも嬉しくて、この幸せが永遠に続くことを祈った。
お腹も一杯になりしばらく休んだ後、園停に向かった。話をしながら歩くと、直ぐに着いた。萌える若葉の中に、園停はあった。
近づくと枯山水の奥にとても古びた園停が見えた。
数寄屋造りの建物の中に入ることが出来るという。私と真知子さんは、入ることにした。畳の部屋には入れないので、廊下を歩きながら中の様子を見学した。前を歩いていた、いかにも品のある高齢の男の人が感心したように呟いた。
「あの欄間は透かし彫りだ。贅を尽くしたとはまさにこのことだ」
確かに素人の私が見ても素晴らしいものだと理解できた。縁側から見る庭の風景もまた見事だった。ずっと見ていたかったが、後ろには何人かの見物客がいたので外に出た。
この日の見晴公園でのデートも楽しかった。でも、人生には幸せな日ばかりは続かないのだということを、間もなく知らされることになるとは予想だにしなかった。 つづく
※アイキャッチ画像は、函館本線です。後ろに見える山は羊蹄山です。別名、蝦夷富士と呼ばれています。公園入口の画像はウィキペディア様より、園停の画像は函館公式市公式観光情報様よりお借りいたしました。