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創作の小部屋「函館物語」第10回

2022年03月17日

 創作の小部屋「函館物語」第10回

空にはひばりの声が響いています。つくばはすっかり春の陽気です。梅の花も満開です。

いつものように、この「函館物語」もパソコンに向かう両手の指先に、物語の進行を自由に任せておりましたが、間違いを起こしてしまいました。第6章「私の職場内での配置転換」の1行目です。これからのストーリーについて、ふと考えた時に気付きました。翌年4月の配置換えではなく、その年の9月でなければならなかったのです。訂正させて頂きお詫び申し上げます。

それではさっそく第10章をアップさせていただきます。

  創作の小部屋「函館物語」第10回

第10章 きじひき高原へのデート

私は、真知子さんのお母さんに会い、とても良い感触を得られたと思った。間違いなく二人の未来は明るいと信じて疑わなかった。

安心したというか、何も恐れるものはないと、私たちはその後も二人だけの世界の中で、青春をまさに謳歌していた。立待岬、見晴公園(香雪園)、函館山夜景、元町辺りと楽しいデートを重ねたが、もちろんそれだけでは終わらなかった。

ある時、仕事帰りのバスの中で真知子さんは言った。

「晴彦さん、函館はもう何ヶ所も二人で行ったし、今度は函館以外の、例えば晴彦さんの住む上磯町や大野町方面にも行ってみたいな」

確かに函館は素晴らしい。まだまだ回っていない所も多い。だが、函館ばかりが北海道ではない。私の生まれた上磯町や大野町辺りにも名所はある。(平成18年2月1日に両町が合併して北斗市になる)

「真知子さん、それなら今度はきじひき高原とか八郎沼なんかに行ってみない?」

すかさず私が言うと、きじひき高原までは、バスで行くのかと真知子さんは聞いてきた。

「大丈夫だよ。真知子さん、車はまだ持っていないけど、函館駅前のレンタカーを借りるつもりだから」

私は高校3年の春ごろ車の免許を取った。実家は貧しい。免許取得の経費を親に無心するのは憚られた。私は高校2年生の夏休みからアルバイトを始めた。母の働く小さな漁港で、魚の選別や雑役等の仕事を夏休みの間ほぼ休みなく続けた。

だが、夏休みの期間だけでは自動車教習所の費用を賄え切れなかった。その為、冬休みもアルバイトをせざるを得なかった。魚の種類と大きさに選り分ける仕事は、ゴムの手袋の内側に綿の薄手の手袋を二重にはめても指先がかじかんだ。お金を稼ぐ辛さと、両親の有難さを初めて知った。私は、そのアルバイトのお金で無事、運転免許を取得することが出来た。母は褒めてくれた。

今日は、きじひき高原へのデートの日だった。私は函館駅前でレンタカーを借り。真知子さんと約束したバス停に向かった。車のハンドルを握るのは暫く振りだった私は、交通事故だけは絶対起こしてはならないと自分に言い聞かせた。助手席に真知子さんを乗せるのだから当然だ。

約束のバス停に着くと、真知子さんは待ちかねたように立っていた。今日の真知子さんは、縁の広い真っ白な帽子を被り、スラックス姿である。真知子さんの肌は白い。陽を浴びるとすぐ赤くなる。洒落た帽子を被った今日の真知子さんも眩しい。

真知子さんが乗り込み、荷物を後ろの席に置いた後、私は言った。

「真知子さん、おはよう。暫く振りの運転だから気を付けるからね」

私の声に頷きながら、弾んだ声で言った。

「晴彦さん、私と一緒の日はいつも晴れね!私は晴れ女なのよ。私と一緒にいれば、一生、雨に濡れる心配はないわよ!」

私は、驚いた。真知子さんは、自分で言っている意味が分かっているのだろうか?私は言葉に詰まりながらも、やっと言葉を返した。

「夏なら、濡れても構わないけどね」

「あっ、そうなの。私と、夏は会いたくないってわけ?」

言葉だけなら絡んだ言い方に聞こえるかも知れない。だが、真知子さんの言葉には嫌味がない。

「今日は、お弁当を作ってきたのよ。何のお弁当か当ててみて」

私は、慎重に運転している。真知子さんの話しに真剣に考える余裕はなかった。私は信号で停まったとき、ふと息を吐いてから答えた。

「多分、おにぎりかな。僕は、たらこのおにぎりと鮭のおにぎりが大好き」

真知子さんは笑いながら言った。

「今日はね。お稲荷さんと鶏のから揚げ。それから母自慢の漬け物よ」

昨夜、「明日は晴彦さんときじひき高原に行く」と、真知子さんはお母さんに話したという。その時、お弁当は何にしようかと相談すると、昨夜のうちに油揚げを煮てくれ、母特製の漬け物も用意してくれたという。

「お母さん、晴彦さんがすっかり気に入った見たい。今朝も、唐揚げを揚げながら鼻歌を口ずさんで、まるで母が晴彦さんと出かけるみたいだった。可笑しいでしょ?」

「あれ、油揚げをお母さんが料理してくれ、唐揚げもお母さんが揚げたの?真知子さんは?」

私が意地悪く言うと、真知子さんは頬を膨らませて言った。

「私だって、油揚げにご飯を詰め込んだり、漬け物を切ったり、大変だったのよ!」

私は、車の運転の緊張がほぐれて、思わず笑ってしまった。

「真知子さんとお母さんの合作のお弁当を食べられるなんて、幸せだよ。本当に嬉しいよ。ありがとうね。真知子さんのお母さんの誕生日、いつかは知らないけど、その時にはお花でも届けようかな!」

私はフォローしたつもりだったが、また失敗してしまった。

「晴彦さん、私はまだ一度も、お花もプレゼントも、晴彦さんから貰ったことなんてないんですけど」

「ああ、そうだったね。僕は給料が安いんで、高級なものは上げられないけど、何が欲しい?真知子さん」

真知子さんは、私のこの一言が嬉しかったらしい。笑顔が弾けた。

「私、安物でもいいから、お揃いの指輪が欲しい!」

一瞬ドキっとしたけれど、私は即座に答えた。

「じゃ、近いうちに買いに行こう!」

すっかり真知子さんの機嫌も直り、二人はたわいもない話をしていると、いつの間にかきじひき高原に着いてしまった。長い時間運転をしたが少しも疲れなかった。車という同じ空間で、同じ空気を吸ったのが何故かとても嬉しかった。遠くには函館山と津軽海峡が見えた。

 

また、壮大に広がる大沼・小沼の風景と悠然とそびえ立つ駒ケ岳を一望することができた。

 

私は、まだカメラを買っていなかったが、この日は真知子さんが持ってきた。三脚を立てて、函館山や駒ケ岳をバックに二人の笑顔溢れる姿を何枚も撮った。

昼の時間になり、二人でベンチに座り、真知子さんとお母さんの手作りのお弁当をご馳走になった。お稲荷さんは、程よいご飯の量で、味付けも最高だった。もちろん唐揚げも美味しいし、唐辛子をほんの少しまぶした白菜の漬け物も後を引く美味しさだった。

食事が終わったころ、私はいつも聞こうとして忘れていたことを思い出した。

「真知子さん、いつも思っていたことなんだけど、真知子さんと帰りのバスは一緒になるけど、朝は会ったことがないよね。どうして?前から不思議だなって思っていたんだ」

真知子さんは、なぜ今更という感じの顔をして言った。

「叔父がね、父のすぐ下の弟なんだけど、私たちの勤めている病院のすぐ近くの会社で働いているの。管理職をしていて、いつも定時には帰れないから、朝だけ少しだけ遠回りをして迎えに来てもらっているの。本当は、晴彦さんと会うようになってからは、お断りをしたいと思っているんだけど、私の方から頼んだことだし、言い出せなくって」

私はようやく喉のつかえが取れた。あまりに簡単な理由で拍子抜けをしてしまった。まだ、夕方までには大分時間がある。私は、八郎沼に寄ることを提案すると、真知子さんもぜひ行ってみたいと言う。

冬までには車を買いたいと思っているなどと話しているうちに八郎沼に着いてしまった。大した距離はなく、レンタカーの運転にも慣れたせいだ。八郎沼はスイレンの葉で覆われ、真っ赤な花が葉の間に幾つも咲いていた。

 

 

私と真知子さんの、楽しいデートはその後も続いた。生きる喜び、生きる楽しさに私は埋没していた。

それから数週間後の9月に、私の職場の配置換えがあり、私は「消化管造影検査室」に配属となった。その後は、第6章で述べたとおりである。

私は、慣れない仕事で毎日疲れ、休日は消化管造影検査の専門書の勉強をしていた。当然ながらデートの頻度は減った。真知子さんは、私の気持ちを尊重してくれ、バスの中での短い逢瀬だけで満足してくれていた。指輪を買うという約束も先延ばしにしていた。

私は真知子さんの深い愛情を感じた。いつかこの人を必ずお嫁さんにしたい、私は心の中で誓った。                                                                                                                 つづく

 

※今回使用しました、きじひき高原からの2枚の画像は函館公式観光情報さまより、また八郎沼の画像は北斗市観光協会さまより拝借させ得て頂きました。ありがとうございました。いよいよ「函館物語」も佳境に入って参ります。

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