創作の小部屋「函館物語」第14回
2022年04月13日
創作の小部屋「函館物語」第14回
昨日のつくばは暖かく、半袖のシャツでも散歩が出来ました。散歩のときは携帯の歩数計でどの位歩いたかを見ます。この1週間の平均は約8500歩で、年間の歩数総数は約250万歩と歩数計は示していました。県内の上位の方などは私の10倍以上を歩いています。
ある説によりますと、毎日6000歩散歩する人と、余り歩かない人では寿命が大きく異なるとのことです。あまり無理をする必要はないと思いますが、お天気の日であれば飲み物を持参して、ゆっくり田舎道や公園などを散歩すると、心も体も爽快になると思います。
途中、芝桜でしょうか?とてもきれいでした。
可愛いワンちゃんにも出逢えました。散歩の醍醐味です。
ロシアのウクライナ侵攻の問題ですが、今朝の某新聞一面トップには「マリウポリ 死者2万人」と記されております。現在は21世紀です。この現代になっても古代から続く戦争が無くならないということが信じられません。日本も、一部の独裁者にあらゆる言いがかりをつけられ、いつ戦争に巻き込まれないとも限りません。真剣に防衛問題を考える時期に来ていると思われます。
創作の小部屋「函館物語」第14回
第14章 真知子さんから別れのことば
あれはいつ頃だったろうか?中学1年生の時だったような気がする。ある日曜日、暫くぶりに父親に誘われ、近くの海岸に魚釣りに出掛けた。父親は、まだ成長過程の私より遥かに体も大きく、腕力も敵わなかった。餌を沖に投げる距離が段違いだった。
さほど大きくはなかったけれど、カレイやハゼが10枚くらい釣れた。父親の針に掛かった魚ばかりだった。暫くして、全くアタリが無くなった頃、父親は煙草をくわえながら、独り言のようにしんみりと語りだした。
「人生には、苦しくてどうにもならないときが必ず来る。自分の力では、努力ではどうにもならない。そんな時は、じっと時間が過ぎるのを待つしかない。じっと耐えるしかない。ただそうして嵐が過ぎるのを待つしかないことがある」
当時の私には、何のことかさっぱり分からなかった。父親は、確かにその頃元気がなかった。珍しく魚釣りに誘ったのは、私と過ごすことで、一時でも辛さを忘れたかったのかも知れない。
今の私も、あの時の父と同じように、じっと時が流れるのを待つしかないのだろうか?だが、私の場合は、何もしないことは自分を追い詰めることにしかならない。複数の困難が重なると私は混乱して委縮してしまう。だが、複数の悩みも整理してみると、意外と明るい道筋が見えることがあると、何かの本で読んだのを思い出した。
今、私の身に起こっている問題は3つある。
〇真知子さんのこと。真知子さんが最近私を避けているかのようだ。どうしたのか、その訳を知らなくてはならない。逃げてはいけない。真知子さんへの愛が誠なら恐れてはならない。
〇父親の入院のこと。治療については医師を信じる以外にない。幸い、もう直ぐ退院だ。治療費も、通勤災害ということになった。何も心配はない。後は、退院したら家族で支えて上げよう。父親のことは心配ない。
〇胃部レントゲン撮影時における患者の事故のこと。病院は私に対して何ら責任を問うてはいない。だが、私の心の中における「本当に、自分には全く落ち度はなかったのか?」その思いが私を苦しめる。あの日は、確かに朝から真知子さんのことで頭が一杯だった。
この中で②の父親のことは、大丈夫だ。心配すること無い。③の件に関しては、病院長に任せるしかない。私が出しゃばっても、事態を悪化させることにしかならない。今後は、尚一層慎重に仕事をすることで、今回の事故からの教訓としよう。
私は、やはり真知子さんとのことが何より大切だ。二人がお互いを大切にし、周囲から祝福されるよう、そんな関係を一日も早く築くこと。そのことに今は集中すべきだ。そのための苦労は厭わないこと。もし、誰かに反対されても、逃げることなく地道に説得していくこと。そう考えた私は、再び真知子さんに会うための方法を考えた。
病院関係者のいる場所で、真知子さんを誘うのをためらった私は、やっと父が退院する日の午後に早退した。父の退院の手続きをし、衣類や身の回りの物をまとめ、父と母と私で家に帰った。父は暫くぶりの我が家に、心から喜んでいるかのようだった。
私は、「用事があるから」と両親に言い、午後4時半過ぎに家を出た。行く先は、真知子さん家の近くだ。真知子さんが帰って来て会えたら、渡すつもりで短い手紙を書いた。
「真知子さん、どうしたのですか?真知子さんに逢えずに、僕がどれだけ寂しい思いをしているか、どれだけ悲しい思いをしているか、知っていますか?
僕たちの気持ちは一つの筈です。話してください。事情を話してください。真知子さんも苦しんでいるのが私には分かります。二人できっと良い方法を探しましょう。
次の日曜日、この前行った市電函館ドック前で午前10時に待っています」
私は腕時計を見た。もう直ぐ6時になる。周りはすっかり暗くなっていたが、道路わきの街灯が辺りを照らしていてくれた。父が退院する午後は、秋時雨が降っていた。「きっと逢える」。私は、自分に言い聞かせるように呟いた。今は、すっきりしない空模様ではあるけれど、雨は降っていない。
それから少しして、私は真知子さんの姿を目にすることが出来た。だが、驚いた。真知子さんは、家の前でなく、若干離れたところでタクシーから降りたのだった。私に会わないように、毎日帰宅時にタクシーを使っていたのだ。
私は、真っすぐ真知子さんの元に駆け寄り、上着の内ポケットから手紙を取り出すと、真知子さんの手を取り渡した。真知子さんは、一瞬ビックリした表情をし、うつむきながら、みるみるうちに大きな涙を浮かべた。
私は真知子さんの涙をハンカチ優しく拭いながら、言った。
「雨が降っていないから、必ず会えると思っていたよ。手紙、読んでね」
そう言うと、私は振り返らずに五稜郭の駅に急いだ。真知子さんの近所の目を意識したからだ。
それから、やっと日曜日が訪れた。この前ここで逢ったときは、お互いの気持ちに綻びは微塵もないことを確認し合えた。今日も、きっとそうなると私は信じて家を出た。
今日も約束の時間より早めに着いた。空を仰ぐと雲の間から、僅かに陽が射している。真知子さんと逢う日だ。雨が降る訳がない。
漁港で時間を潰し、15分前に市電函館ドック前に戻った。やがて市電が現れ、真知子さんが降りてくるのを私は待った。釣り人がこの前のように何人か降りてきた。次は、真知子さんが降りてくる。そう思って、元気にお早うと言葉をかける準備をした。
「えっ 何で?どうして?」
私は一瞬パニックになった。真知子さんが降りて来ないのである。市電が走り去る後姿を、まるで夢の中の出来事のように眺めていた。頭の中を整理しようと暫くそうしていたが、疲れてベンチに崩れ落ちた。
「真知子さんが、来ないなんてあり得ない!」
私は、心の中で何度も叫んでいた。私の思考は空回りし続けた。どの位、時は過ぎたのだろうか?私はベンチから立ち上がり、歩き出そうとした。その時、次の市電が到着した。私は、振り向きもせずに、背中を丸め高齢者のように足を引きずって漁港に向かった。
ふいに後ろから女の人が叫ぶ声が聞こえた。
「晴彦さ~ん 待って~!」
驚いて振り向くと、そこには真知子さんが立っていた。真知子さんは、私の元に走り寄った。
「わたし~」
それだけ言うと、私に抱き付いた。私はそのまま真知子さんの肩を抱きしめていた。しばらくして、無言で真知子さんの手を引き漁港に向かった。二人で港の片隅に置かれた古いベンチに座った。私はいつものように、彼女の座る位置にハンカチを敷くのは忘れなかった。
「どうしたの?時間を間違えたの?」
私は優しく小さな声で聞いた。真知子さんは首を振って答えない。本当に、真知子さんはどうしてしまったのか?
「真知子さん、僕たちの気持ちはこのままずっと変わらないはずだ。僕には、この先も真知子さんしかいない。僕は、真知子さんと結婚して、僕たちの子どもに産まれたがっている子と一緒に楽しく暮らしたい」
真知子さんは、ハンカチを顔に当てて頷いている。真知子さんの本心は私と同じなのだ。なら、どうして、私を避けるようなことをするのか?真知子さんは苦しんでいる。何に苦しんでいるのだろう?
暫くすると、真知子さんはぽつりと言った。
「もう逢えない・・・。晴彦さん、私は弱い女。ごめんなさい、本当に・・・ごめんなさい」
真知子さんは、よろめくように立ち上がり、溢れる涙のまま私にささやいた。
「晴彦さん、私を許してください。こんな私を大切にしてくれて、本当にありがとうございました。もし、今度生まれて来たときは、何があっても晴彦さんに付いていきます」
真知子さんは、市電函館ドック前に歩き出した。私は止めようと、真知子さんの体の前に立ちはだかったが、真知子さんは首を横に振り、嗚咽しながら私の横を通り過ぎた。
私は、意気地なしだ!なぜ、抱きしめて離さなければ良いではないか?
そうしたかった!だが、私が強引に真知子さんを引き留めても、真知子さんを追い詰めるだけだ。余計苦しませるだけだ。今は耐えよう。私は呆然と真知子さんの後姿を見送った。 つづく