創作の小部屋「函館物語」第15回
2022年04月19日
創作の小部屋「函館物語」第15回
桜の花はすっかり落ちて、新緑の季節がやって来ました。先日は雨降りでしたが、今日はとっても暖かく、空からひばりのさえずる声が聞こえて来ます。下の画像は、近所で撮った画像ですが、新芽から赤い葉の色をしています。「ノムラモミジ」というのでしょうか?
近くの国道です。若葉が出揃いました。
毎日、新聞の一面はロシアのウクライナ侵攻のニュース一色です。核を持っている国だからと、世界はウクライナを応援していても、結局武器の提供しか出来ません。それは、戦争の激化と長期化をもたらすばかりです。
それで苦しむのは一般人、特に子供と高齢者です。子供を失った母親の涙の姿を何度も見ました。たった一人の権力者が、世界中に苦しみを振りまいています。世界中で食料品や燃料費が高騰しており、生活者を追い詰めています。日本も同じです。
近い将来、第2第3のロシアが出現したらと考えると、日本もうかうかしてはいられません。
創作の小部屋「函館物語」第15回
第15章 旧友からの東京の病院への誘い
ある日技師長から、院長秘書から聞いたという話しをしてくれた。院長秘書は、仕事柄しょっちゅう院長室に出入りする。そのとき院長と成田議員との話しのやり取りを聞いたという。
秘書の話しによると成田議員は、当院とその時の当事者の私を、本当に訴訟に持ち込もうとしたらしい。成田議員は、知り合いの紹介である弁護士に相談した。しかし、弁護士は調査により「医療事故」あるいは「医療過誤」のいずれにおいても勝訴の見込みは殆んどないとの結論を出したそうだ。
医療事故において、医療機関側に「過失」があったと認められる場合は、民法上の「債務不履行」または「不法行為」に基づく損害賠償責任を負うことになるらしい。だが、通常の事故と違い、医療事故はその過失の有無についての判断が非常に難しく、簡単に責任を問うことができないのだそうだ。
そうしたことから、成田議員は訴訟を諦めたとのことだった。
技師長と私はこの話に疑問を持った。成田議員からしたら、訴訟をしようとしている相手側に自らの不利な情報を持ち込むことなど通常あり得ない。考えられるのは、今回は訴訟を諦めるという条件で、和解金即ち示談金の交渉を有利に運ぼうとしているのではないかと考えた。
しかしその後、議員の妻が退院し日常の生活に戻ると、普段、議員自身も糖尿病や慢性腎不全の疾患で世話になっている病院と争うことが忍びなくなったという。妻の撮影台からの転落の一件は、この病院に落ち度は全くないとは納得している訳ではない。だが、病院長も心から妻を気遣ってくれ、治療費の免除と見舞金も用意してくれた。見舞金の金額は、弁護士によるとこの件での見舞金としては高額との見解であったそうだ。そうしたことから、この件はもう水に流そうと成田議員の方から申し出たそうだ。
成田議員も男だと技師長は褒めていたが、それから数日後に再び成田議員は病院長を訪れたという。この件も、院長秘書からの情報だ。
「院長先生、妻もすっかり良くなり、家事でも買い物でも、何でも一人でやっています。一時はどうなるかと、私も不安から当院に対して随分と冷たいことを申してしまいました。お恥ずかしい限りです。
ところで、院長先生。妻もこの病院には高血圧症や膝関節痛などでお世話になっておるんですが、妻の言うのには、当院にはもう来たくないと申しているのです。どうしてなのかと聞きますと、あの時のレントゲン技師がいると思うと、病院に向かう足がすくんでしまう、こう言うのです。
院長先生、私は北海道議会議員に33才で初当選し、次期議長候補とまで噂されるようになりました。ですが、私が道議会議員になれましたのは、妻の父親の地盤を受け継いだからです。そうした訳で、妻には頭が上がりません。
こんな恥ずかしい話をする自分が惨めではありますが、院長先生、何とかならんでしょうか?」
院長は、しばらく間をおいてから言ったそうだ。
「何とかならないかという意味は、奥様のあの時の担当技師のことでしょうか?」
院長はしばらく考えていてから、口を開いたそうだ。
「成田先生には、当院はひとかたならぬお世話になっております。当院が幾つかの拠点病院に指定されたのも、成田先生のご尽力があってこそだと普段から感謝致しております。先生の申されたことは検討させて頂きます」
苦渋を湛えた表情で院長はそう答えたのを、ちょうどコーヒーカップを下げ、変わりのお茶を運びながら秘書は聞いたのだという。
それから半月も経った頃、技師長と私は事務長室に呼ばれた。院長が学会出張で留守のため、事務長が依頼されたとのことであった。
「忙しいところ申し訳ない。院長先生が学会で留守なので、代わりに私が仰せつかったのだが、二人に来てもらったのは高橋君の転勤のことなのだよ。
前の胃部レントゲン撮影時の事故の件とは、関係がないと初めに断っておく。高橋君には、来月一杯で、つまり今年いっぱいで、系列の旭川の病院に転勤していただくことになった。旭川病院の方でレントゲン技師が足りなく、優秀な技師を1人でも良いから何とかしてくれないかという依頼がしばらく前からあったのだが保留していた。それが、先日また何とかして欲しいと旭川の事務長から泣きつかれてね。
院長先生も、高橋君の普段の努力をご存じで、残念だと仰られていたよ。この転勤は左遷ではなく栄転だから、旭川病院でも頑張って欲しい」
私は帰宅してから北海道の地図を見た。函館からだと旭川まで約450キロの道のりだ。真知子さんと再び交際が始まっても、そう頻繁に逢える距離ではない。
この前市電函館ドック前で会ってから、既に1週間近くになる。レントゲン室での事故のことや、旭川の病院に転勤することになったことは伝えていない。もしかしたら、もう噂になり、真知子さんの耳に届いているのだろうか?いずれにしても、その件も含めて話し合わなければと思った。
だが、待ち伏せのような真似はもうしたくなかった。とにかく二人で話し合いたい。火曜日の晩、私は真知子さんへ手紙を書いた。
「真知子さん、1週間前に函館ドック前で会ったばかりですが、僕は毎日でも逢いたいです。真知子さんから、もう逢えないと言われましたが、そう簡単にこの想いを消すことなどできません。
時々、薬局の受付の前を用事がないのに通ります。もしかしたらガラス窓の奥に、真知子さんの姿が見られるかも知れないと思ってです。
真知子さんが苦しんでいるのは、私には痛いほど分かります。将来の伴侶と決めた人ですから、傍にいなくても真知子さんのことは何でも分かります。
私は約3週間前に胃のレントゲンの撮影中、患者さんをケガさせてしまったことはご存じですか?そのことと因果関係があるかは知る由もありませんが、来年1月から旭川病院に転勤ということになりました。
9月頃まではバスの中で週3日は会い、時々デートもしました。旭川の病院に行けばそう簡単に逢えなくなってしまいます。ここのところ真知子さんと逢ってはいませんが、同じ病院の中にいるというだけで、真知子さんと一緒だという喜びがあります。
真知子さん、僕は心から真知子さんが大好きです。ずっと一緒にいたいのです。真知子さんは、この次もし生まれて来たときには、何があっても僕に付いて来てくれると言っていましたが、なぜ今は駄目なのでしょうか?
もう一度、逢ってください!もう一度、今後のことについて話し合いましょう!きっと、二人にとって最良の道がある筈です。負けないで、二人で力を合わせて乗り越えましょう!
二人初めてデートした立待岬に行きませんか?市電函館駅前で、次の日曜日10時に待っています。必ず来てくれると信じています」
真知子さんは、どんな気持ちでこの手紙を読んでくれるだろうか?私は、さぞ真知子さんが悲しむだろうと、ポストの前でしばらく迷った。だがこのまま、うやむやにしたまま函館を離れることはできない。真知子さんの本心を確認しないことには、この先に私の人生はない。
辛い日々の中で、私は昔の家具製造会社の仲間で、現在は東京の有名な病院でレントゲン技師として働いている伊藤を思い出した。今の私には、心を許して話せる友達は伊藤しかいなかった。
伊藤にだけは苦しい胸の内を分かって欲しかった。昼休みに公衆電話から伊藤の病院に電話をした。公衆電話では長電話は出来ない。再度、夜の8時ころに電話をすることにした。伊藤は、私とは反対にとても元気そうで、覇気が感じられた。
その晩、約束の時間に電話をすると、伊藤は待っていたかのように電話口に出てくれた。電話ではあったが、しばらくぶりの会話に伊藤の声は弾んでいた。少し世間話をしただけだったが、伊藤は私が深刻な悩みを抱えているのを即座に察したようだ。
「高橋、今日の高橋の声は昔のお前の声じゃない。いかにも辛くてしょうがないという声だ。俺に出来ることなら何でもするよ。言ってみろ!」
私は、何の遠慮の必要のない伊藤に全てを話した。胃部レントゲン撮影時の事故のこと、真知子さんのこと、旭川の転勤のこと、私は理性を失い感情に任せ、脈絡のない話を一方的に話した。伊藤は黙って何度も相槌を打ちながら、真剣に聴いてくれた。
私が一通り話してやっと心が軽くなった頃、伊藤は言った。
「高橋、お前が真知子さんという人を本当に好きなんだということが良く分かったよ。もし、その真知子さんとまた仲良くなれるなら、旭川の病院に行くことを勧めるよ。だが、もし、真知子さんとお前の本意でなくとも、一緒になれないのなら俺の病院に来ないか?正直、うちの病院でもレントゲン技師が足りなくて困っている。お前さえ決心が付けば、俺が働けるように技師長や事務長に頼んで、必ず採用して貰えるようにするよ。これでも俺は、少しはこの病院では信用があるんだ。必ず大丈夫だよ」
伊藤は、真知子さんと一緒になれないのなら、東京に出て来いと言う。傷心の私にはどうして良いか分からなかった。 つづく