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創作の小部屋「函館物語」第19回

2022年04月30日

 創作の小部屋「函館物語」第19回

今日の新聞を見ますと、「円安」とプーチン大統領の『核兵器示唆  米欧を威嚇』の記事がトップに載っています。国民の物価上昇による暮らし難さと、日本の平和維持への不安を、この二つは記事は暗示しているようです。無力な者としては、日本を始め世界中の人々が飢えることなく平和な暮らしが出来る、二十一世紀の到来を待ち望むばかりです。

本日の画像は、一昨日のフラワーパークで撮ったものを再度アップさせて頂きます。1枚目の画像ですが、小さな白い花が一面に咲き乱れていました。

至る所に満開の赤紫色のツツジの姿がありました。

緑の中で白ツツジが映えて爽やかでした。

名も知らない初めて見る赤い花でした。

黄色の小さめな花ですが、とても可愛い姿です。

「函館物語」も次回の第20回で終了となります。人生は辛いことの方が多いかも知れません。最後までご覧頂けますようお願いいたします。

  創作の小部屋「函館物語」第19回

第19章 真知子さんの手紙(後半) 

私がソファーに腰を下ろすと、父は新聞をたたみ、テーブルの隅に置かれたB5番の大きさの封筒を掴みました。おもむろに封筒を開けて、随分と厚い書類の束を捲りながら言ったのです。

「これは、昨日ある興信所から届いた、真知子が一緒になりたいと言った高橋君の身元調査だ。私は昨夜、その書類の隅々までに目を通した。

私は高橋君がどうのこうのというつもりはないが、お前と高橋君では生まれた世界が違う。はっきり言ってお前には相応しくない。高橋家の嫁になることに私は反対だ。

お前には、好きになった人と結婚して幸せな家庭を築いて欲しい。それは、どこの親も同じだ。だが、この調査を見る限り、お前の結婚相手としては不相応だ。高橋君の実家ははっきり言って貧しい生活をしている。それに、高橋君は、長男だ。お前が結婚したら、いずれ高橋君の家に入り、義理のご両親の面倒をお前が見ることになるだろう。私はお前に辛い人生を送って欲しくない」

幼いころから、私を誰よりも愛してくれた父。幼い日、高熱にうなされている私を、深夜の吹雪の中を救急外来のある病院まで運んでくれた父。忙しい合間を縫って、遊園地や旅行にもよく連れて行ってくれた。目の中に入れても痛くないと言いながら、大切に育ててくれた父。周りの友達から、羨ましがられたのを昨日のように覚えています。

そんな父を出来ることなら悲しませたくない。私は、愚かな女です。晴彦さんを忘れることが出来るのかを試そうとしました。そのため、仕事帰りに会わないようにタクシーで帰っていたことがありました。私にはとても苦しい試みでした。毎日、暗闇の中で生きているような気がしました。

私には晴彦さんがいないと生きていけない。やはり私は晴彦さんなしでは生きていけない。私の晴彦さんへの愛慕の念を抑えきれなくなった頃、晴彦さんは市電函館ドック前に来るようにと私に伝えてくれました。漁港で、晴彦さんは熱い胸の内を語ってくれ、私はやはりこの人と生涯を共にしたいと強く願いました。

次の日から、私はあなたにも両親にも内緒で、仕事の帰りに不動産のお店を回りました。私は家を出て、アパートで独り暮らしをしようとしたのです。晴彦さんと一緒になるための布石のつもりでした。それとささやかな父への抵抗でした。市電青柳町の近くに私は適当な物件を見つけ、両親にも内緒でアパートを借りようとしました。生活に必要な物を少しずつ買い揃えたりしました。

ある日、買い物をして大きな荷物を家の中に入れようとした時、母に見咎められました。理由を問われた私は正直に、晴彦さんと一緒になるためにアパートを借りたと言いました。母は私の味方でした。母は「お父さんを私が説得するからもう少し時期を待ちなさい」と言いながら頬を涙で濡らしていました。

父に何とか二人を一緒にさせて欲しいと、母は何度も懇願したようでした。いつもの父なら母の言うことに従順な筈でしたが、私たちのことには首を縦に振らなかったそうです。それから間もなく、父は珍しく早く帰った夕食の後、私に声を掛けました。

「真知子、お母さんから聞いたが、アパートを借りるんだって?この前話したとき、分かってくれたと思ったが、まだ晴彦君と会っているようだね。会社を経営するということは、何十人という社員とその家族を養うということなのだ。情けに流されたり、情に溺れたりしていては、いつ多くの人々を路頭に迷わせてしまうかも知れない。『坂本建設』」の存続が、関連会社を含め数百人の命を守ることになる。決して私一人の会社ではないのだよ。

私は、ここ5~6年の間、この会社を受け継いで欲しいと思う数人の社員を育ててきた。もちろんお前の婿になって、この家と会社を守って欲しいと願ったからだ。いずれお前には話すつもりでいたが、忙しさにかまけて言いそびれていた。数人の候補の中から、私は二人に絞った。そのどちらかを、お前に選んで欲しいと思っていた矢先だった。

何としても、私の選んだ二人のどちらかと結婚してほしい。二人とも、家柄も人柄も申し分ない。そして人の上に立って、会社を牽引していく経営者しての資質も十分だ。これは命令などではない。父の頼みだ。私の一生に一度の頼みだ

私がこれまで築き上げてきた『私の命』とも云える会社をどうしても守って行かなければならない。一人娘のお前が高橋君と結婚して、この家を出て行ったなら、この家も私の会社もどうなると思う。そうなるといずれ他人の手に渡ってしまうことになってしまう。この私が一生を掛けて築き上げた「坂本建設」だ。他人に渡すくらいなら死んだ方がましだ!」

普段、弱さなど微塵も見せない父が、目に涙を溜めていました。母は父の脇でオロオロし、母の目にも涙が溢れていました。その後、父は信じられない行動に出ました。何と、会社では威厳があり社員から尊敬の眼差しを受けている、その父が娘の私に土下座をしたのです。

「私の勝手だということは、重々承知している。だから、こうして頭を下げている。どうか父の言うことを分かって欲しい」

私は父の土下座の姿が哀れで、2階に走りました。

しばらくして、母が私の部屋にやって来ました。ベッドで横になっている私の傍に静かに座って言いました。

「真知子、お母さんはお前たちを一緒にさせてあげたかったけれど。ごめんね。力になってあげられなくって」

私は答えようがなくて、横を向いたままでした。

「真知子、もし、お前が親の反対を押し切り、この家を出て晴彦さんと一緒になったとして、本当に幸せになれると思う?子供が出来ても、この家の敷居を跨げない。それだけではなく、孫の七五三の晴れ姿も、小学校・中学校またその上の入学式の成長した姿も、私たちに見せられない。私の勝手かも知れないけれど、孫の顔が見られないなんて、これ以上お前の母として悲しいことはないわ」

本心からそう言ったとは私には思えませんでしたが、母はそれだけ言うと階段を降りて行きました。私は混乱して何も分からなくなってしまいました。

結局私は両親に逆らえませんでした。これまでの両親の深い愛情に背けなかったのです。函館から私は離れられなかったのです。本当に、晴彦さんにはどうしたら償えるかとそればかりを考えて、毎日を過ごしました。

晴彦さん、市電函館ドック前で、2回目に逢ったときの言葉を繰り返します。

「今度、生まれて来たときは何があっても晴彦さんに付いて行きます」

叶うなら、次の世では両親よりも誰よりも、晴彦さんを信じ愛します。そして、可愛い私たちの子と共に楽しく暮らしたいと、心から望んでいます。

私の晴彦さんに伝えたいことは、もうこれで全部です。二人の一緒にいた時間は短かったけれど、私が一番嬉しく、思い出に残っているのは、上磯でペアリングを買った時です。あの日から、私は晴彦さんと夫婦になったつもりでいました。

それから、今振り返って涙が出てくるほど辛い晴彦さんの言葉があります。それは晴彦さんが函館ドック前で言われた二つの言葉です。

一つ目は、晴彦さんが私に言った「真知子さんと結婚できないなら、僕は生涯独りで生きる」と言われたことです。私の我儘で、あなたを不幸にしてしまうのが忍びない思いで一杯でした。その時、私も生涯独りで生きて行く決心をしました。

二つ目は、もし別れることになったら、私たちの子に産まれたがっている子どもの夢と願いを葬り去ることになってしまうという言葉です。私は、とても罪深い女となってしまったのです。当然、私は今後結婚することも、子供を持つことも諦めました。その資格を、私が自ら放棄してしまったのですから。

晴彦さん、私は幸せでした。人生の長さから見たら、二人でいられたのは本の一瞬だったかも知れませんが、私の人生の全てだったと思っています。

それから、今思い出したことですが、私は何度かお手紙を出しましたが、ご返事を頂けませんでした。もう、晴彦さんには私よりも大切な人が出来たのかと、とても悲しい思いをしましたが、今になって分かりました。晴彦さんは、いつまでも二人の思い出をひきずらないで、私に幸せになって欲しかったのだと。

私の命の炎はもう直ぐ消えてしまうでしょう。でも、悲しくありません。そして悔いもありません。私は「野菊の墓」の民子さんのように、静かに逝きます。私は、次の世で晴彦さんと必ず一緒になれると思うと、逆に嬉しいのです。

本当に幸せな、そして楽しい時間を有難うございました。この辺で、終わりにします。晴彦さん、本当にありがとうございました。

さようならは言いません。

           平成24年4月吉日                高橋真知子

 

文の最後に書かれた名前が「高橋真知子」になっていたのが、私には言葉にならないほど嬉しかった。読み終えた私は、震える手で手紙を封筒に戻した。       つづく

 

        ※次回が最終回です。タイトルは「お墓参り」です。

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