課題テーマ「室蘭 トッカリショ」第9回
2016年08月10日
第9回「トッカリショの伝説」
随分ご無沙汰をしてしまいました。前回で、おおかた作詞は終わたのですが、大きな問題がありました。それは、「トッカリショの伝説」と作詞の整合性が取れていないということです。それなので、わたしは詞を変えるのではなく、創作を詞に合わせました。イサエマツが弦に足を取られ海に落ちたのではなく、「あの人がこの世にいないのなら、わたしの方から逢いに行くしか方法がない!」との決断からでした。その部分は、「トッカリショの伝説」の第5章からでした。修正致しましたのでご覧頂きたいと思います。
第5章 哀れイサエマツ
イサエマツは、自宅近くの山で山菜採りをしていましたが、強い風が吹き始めたので家に帰りました。
「セルゲイさんは、今日沖に出ている筈だけれど、大丈夫かしら?」
どうしようもない不安に、胸が押しつぶされそうなイサエマツでした。
次の日、イサエマツは眠れぬままに朝を迎え、セルゲイの家に向いました。父親のアイヤニも目を真っ赤にし、イサエマツを送り出しました。
セルゲイの家では、母親と妹のイコレイレマツがやはり一睡もせずに、夜明けと嵐の収まるのを待っていました。イサエマツが、セルゲイの家に着くころは、皮肉にもトッカリショの海はいつもの美しい姿のままでした。
3人は、浜に出てみましたが、特に変わったことはありませんでしたが、いつもなら置いてある筈のセルゲイの船は、小屋の中にも浜にもありませんでした。涙を流しながら、セルゲイの母親が言いました。
「イサエマツちゃん、心配しなくても大丈夫だよ。セルゲイは、きっと生きている。イサエマツちゃんを残して、死ぬはずがない!必ずどこかで生きている。だから諦めないで!」
そのことばは、イサエマツだけではなく、イコレイレマツに、そして自分に言い聞かせているようでした。3人は、いつまでも、いつまでも沖を見つめて佇んでいました。
あの日から、10日が過ぎました。セルゲイは、やはり帰っては来ませんでした。イサエマツは、セルゲイの家に泊まったり、家から通ったりしながら、トカリッショの浜で、沖を見続けました。
食べ物も喉を通らず、以前の美しい容姿もふっくらとしたピンクの頬も、肉が削げ、もはや面影を失くしてしまいました。今日も、家からこのトッカリショの浜にやって来ましたが、その足取りは老婆の様でした。
それから数日して、イサエマツは浜ではなく、トカリッショノ岬の上に登りました。岩にかじり付くようにしてやっと登ったイサエマツの瞳の奥には、大きな決心が秘められていたのでした。
「誰が悪い訳ではないけれど、私の愛する人は、もうこの世にはいないの?もし、今日逢えないなら・・その時は、その時は・・!」
イサエマツは、枯れた筈の涙を、また流しました。ただじっと沖を見つめて泣いているイサエマツの姿は、誰もいませんでしたが哀れを超えていました。とてもとても永い間、水平線の彼方を見つめていましたが、やがて夕やみが迫りつつありました。
「あの人は、ついに帰っては来なかった。遠い所に行ってしまった。それなら、私があの人のそばに行かなければ!」
イサエマツは、擦り切れそうな草履を脱ぐと岩陰に揃えました。
終章 二つのお墓
岬の上の岩陰に揃って置いてある草履に気付いたイサエマツの父アイヤニは、イサエマツが覚悟の上で飛沫の中に消えたことを知りました。イサエマツの父親のアイヤニは、せめて娘の亡骸を葬ろうと必死に浜や岩陰を探しましたが、いくら探しても見つかりませんでした。
アイヤニは、トッカリショの岬の隅に、小さな墓を二つ作りました。墓と言っても、浜から拾った石を二つ並べただけの粗末な墓でした。それでも、アイヤニ・セルゲイの母・セルゲイの妹イコレイレマツの3人は、両手を合わせました。
3人の願いは同じでした。
『 セルゲイとイサエマツが あの世で きっと幸せになっていますように・・!』
その墓石の辺りには、蝦夷黄菅(エゾキスゲ)の黄色い花がたくさん咲いていました。
アイヤニはその後、この二つの墓に週に一度は通い、セルゲイとイサエマツに詫び続けました。それは、アイヤニが82歳で亡くなるまで続いたとのことです。
終わり
以上のように修正いたしました。この「トッカリショの伝説」のことではなく、作詞には整合性がなければなりません。季語や事実に間違いがあってはいけません。常に分からないことは、辞書やネット検索で確認することが重要です。
このまま、何度か読み返して修正箇所が見つからなければ一応完成と致します。