課題テーマに挑戦「増毛町」第7回
2017年03月10日
課題テーマに挑戦「増毛町」第7回
今回で課題テーマに挑戦「増毛町」も7回となります。通常でしたら、もう作詞の5合目辺りまで来ている筈なのですが、まだ作詞のイメージが湧きません。もちろん、「増毛町」のことを理解していないからです。でも少しづつ情報を得ながら、閃きを待つつもりです。
上の画像は、増毛町のサクランボです。とても鮮やかで瑞々しくて、口に入れたらとろけるような美味しさを感じます。増毛町の果樹は、暑寒別 岳の麓に広がる果樹園で栽培され、まとまった果樹園としては日本最北の果樹地域とのことです。増毛町の果樹は、この他にイチゴ・ぶどう・プルーン・洋梨・りんごなどがあります。
さて、増毛町の歴史を「漁業のあゆみ」「農業のあゆみ」と順に記載させて頂きました。今回は、「商工業のあゆみ」について「増毛の歴史を振り返る」から抜粋させて頂きます。かなりの量の資料ですので、うまく要点を皆様にお伝え出来るか不安です。
[ 商工業のあゆみ ]
<明治期・大正期・昭和前期 1880年代~1945年>
明治初期の商業
明治初期においては、増毛地方の商人が取り扱う物品の輸送方法は、弁財船から機帆船へ、その後汽船へと変遷していきました。当時は、小樽港への定期船があり人々の交通機関でもありました。当時の商業が鰊場という地域的特徴に影響され、商人たちは巧みに営業形態の中へ漁場の作業暦を組み入れていました。
初期の商工業とその変遷 ~明治・大正の創業者たち~
支庁所在地として、定住者が増加し様々な需要が起きて広い職種が店を並べ、漁業の性質上、料理屋、旅館なども比較的多くありました。この頃の人口は、明治18年(1885年)に3,777人、明治28年(1895年)に11,038人、明治38年(1905年)には雇用人を含め13,439人に膨れ上がりました。大正5年(1916年)に増毛市街地に初めて電気が灯りました。翌年には増毛電気株式会社が本間泰蔵を社長に設立されました。
昭和時代(戦前)
この頃から始まった不景気は慢性的に人々の生活を脅かしはじめ、昭和に入り一層悪化して、昭和2年(1927年)には地方銀行が休業する金融恐慌となって襲ってきました。増毛地方でも子供を奉公に出し、夫婦は芋掘りや澱粉工場で働く家族が続出しました。
<昭和後期(戦後)~現在:昭和20年~現在>
1 地域商業の体質と推移
終戦後の昭和24年(1949年)に新しい漁業法によって、「増毛漁業協同組合」が設立され、市場を開設し生産物処理が進められていきました。
[変化の時代と地域の商工業]
大正から昭和にかけて、人口には大きな変化がなく、急激に人口が増加するのは昭和20年代で、その要因は鰊漁の賑わいが持続されて戦後の食糧難時代を支えていたことや敗戦による外地からの引揚者の定着もあり、まとまった需要が地域の商工業を発展させました。
昭和30年(1955年)以降、鰊漁に代わってスケトウダラ漁が台頭し、町全体の漁獲量や水揚げ金額に占める割合も大きく、地域の水産加工業を隆盛に導き、地場の雇用が拡大し、運輸業や資材業にも波及していきました。
しかし、スケトウスケトウダラ漁は昭和40年代の中頃から次第に不振に陥り、町全体に影響を及ぼしました。また、人口の都市集中と地方の過疎化が顕著となり、増毛町の人口も昭和35年(1960年)には1万5千人を切り、人口は急速に減少し始めました。
平成17年(2005年)には5,708人となり、全盛期の昭和30年(1955年)の3分の1近くとなり、地域の商工業へ及ぼす影響は大きいものがあります。
水産加工業
過疎化の進むなかで製造業に従事する人の減少率が少ないのは、地場産業に水産加工業が中核を占めているからです。品目には、塩蔵品(数の子・たらこ)、干製品(身欠にしん)、調味漬物(酢だこ)など地場に恒久的なものもあります。
スーパー、コンビニエンスストア、大型店の出現
時代の変化が小売店中心から商業システムを変貌させました。自家用車の増加は、昭和40年(1965年)頃から始まり、昭和53年(1978年)には管内平均で人口8人に1台の割合まで普及しました。その後、大量消費の時代を迎え、商業形態も変化していきました。
①スーパーマーケット(増毛スーパー ・中央スーパー増毛店)②コンビニエンスストア(セイコーマートにしかわ増毛・セブンイレブン留萌増毛店・セイコーマートいとう増毛・ローソン留萌増毛店)他に大型店舗立地法による大型店の出店は結果として、駐車場スペースもとれる留萌市郊外に立地し、市街地の商店街に打撃を与えることになりました。
交通の便利な今日では札幌へ出かけるケースが多くなってきたほか、インターネットでの通信販売の広まりなど消費行動は多様になり地方の商業へ与える影響は大きくなっていきました。
[商工業の現況と方向性]
平成15年(2003年)7月に留萌商工会議所が実施した「買物アンケート」では、回答者の7%は既に増毛町民で同じ商圏へ取り込まれていることが明らかでした。留萌市の郊外店へは増毛からの来客が増えることで、それだけ町内での購入量は減ってきました。既に経済圏として、南部三市町が同一視され、全道的にみても札幌を中心とした都市部の過密化と地方の過疎化が顕著になっていきました。
たいへん恐縮ですが、大分端折りましたので分かりにくいかと思います。でも、だいたいの流れは掴んで頂けることと思います。私は、茨城県のつくば市に住んでいますが、「増毛町」の過疎化そして商店街の侘しさは、私の地方でもやはり同じように感じます。