課題テーマに挑戦「音戸大橋」第3回
2020年01月12日
課題テーマに挑戦「音戸大橋」第3回
新年を迎えたと思いましたら今日は12日です。明日は成人式です。
元旦の日に「音戸大橋」の第2回目をアップしましたが、年が明けてからは今日で2回目のアップです。もう少しアップの頻度を上げないと悪戯に月日ばかりが流れてしまうと反省しております。
上の画像は「桜と音戸大橋」です。この「音戸の瀬戸公園」の桜は2,300本も植えられているそうです。左側に見えます緑の木々はツツジであろうと思われます。桜の花びらが散った後、ひと月もすればツツジの満開の季節となります。
ちなみにツツジの木は8,300本も植えられ、赤やピンク・白などの花が咲き乱れ、それはそれは美しいそうです。(画像はロコナビ様から拝借させて頂きました。ピクスタ様からの提供とのことです。)
この画像は、「平清盛公日招像」です。
「平家物語・義経伝説の史跡を巡る」様のブログから以下の文章を引用させて頂きます。
音戸瀬戸は呉市警護屋(けごや)と対岸の倉橋島(呉市音戸町)の間にある海峡で、長さはおよそ800m、幅はわずか80m、潮の流れの速さと行き交う船の多さで知られています。この瀬戸を開削したのが平清盛と伝えられています。伝説によれば、西に沈みかけた太陽を清盛が扇で招き返し、一日で開削工事を終わらせることができたという。(中央の画像「平清盛公日招像」は広島観光ナビ様から転載させて頂きました)
≪清盛塚≫
音戸瀬戸渡し舟で倉橋島へ渡ると音戸大橋のすぐ下の海岸にあります。清盛が音戸瀬戸開削の際、人命を尊んで、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めて難工事を完成させたと伝えられ、清盛の功績と供養のために宝筐印塔が建立されました。
「平清盛公日招像」は、警固屋(けごや)の高烏台(たかがらすだい)にあり、「清盛塚」は音戸大橋のすぐ下の海岸にあります。どちらも呉市です。まだ私には、音戸大橋や音戸の瀬戸についての知識が曖昧です。歴史的にも、もう少し詳しく知る必要があります。今回の第3回目は、私にとって消化不良の部分がありますが、少しづつイメージを膨らますことが出来るよう情報を集めたいと思います。