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課題テーマに挑戦「金沢市」第25回

2020年08月13日

 課題テーマに挑戦「金沢市」第25回

今日からお盆です。コロナ問題で、年に数度の楽しみである帰省をあきらめた方、会える日を指折り数えていた方、どれほど悲しいことでしょう。特にお孫さんとの再会を楽しみにしていたおじいちゃん、おばあちゃんにとっては何よりコロナが憎いことでしょう。

さて、「夕香金沢ひとり旅」も終盤にさしかかってきました。夕香さんが元気になって帰京できるよう私も何とか頑張りたいと思います。アイキャッチ画像は金沢市にあります宇多須神社です。金沢の観光・情報サイト様より拝借させて頂きました。

  夕香金沢ひとり旅 第11回

第11章  教授の回顧その3(命の誓い)

私には明るい未来、輝く未来が永遠に続くはずでした!それが、胃がんの中でも極めて悪性のスキルス性の胃がんに罹患しているなんて、何かの間違いだ。明日になれば、友人の外科医から悪い冗談だったと詫びの電話が入るに違いない!

駅前で外科医の友人と別れた私は、まっすぐ家に帰る気にはなれず、ひがし茶屋方面に歩き出しました。確かその近くに宇多須神社があった筈だからです。静かなところで、ただ何となく過ごしたかったのです。それに宇多須神社は、病気平癒の神社でもありました。

歩き始めた私は、まるでこの世の物とは思えない、不思議な光景を目にしていました。もちろん夜の照明が辺りを照らし出していましたが、その明かりのことではないのです。

歩道に置き去りにされた自転車、電柱、石ころ、草むらが輝いて見えるのです。ひがし茶屋街の建物や行き交う人々、そして犬までもが輝いて見えるのです。

宇多須神社の境内の灯篭、沢山の木々、神社、全てが輝いていました。私の生きている世界は、こんなに美しく眩い世界なのかと驚きました。

妻との他愛もない諍い、また同僚へのライバル意識からのジェラシー。さまざまな葛藤や不満。今の私は、それらがとても美しい出来事のように思われました。命の危機を目前にして、心を騒がす日常がとても尊く感じられたのでした。その感動で私は目頭が熱くなりました。

宇多須神社の拝殿の鈴を鳴らしながら、深く頭を垂れました。

「もし、私に生きていくことが許されるなら、今後の人生は『発達障害』の子ども達のためだけに捧げます。どうか私を生かさせてください」

次の日のやはり昼頃、友人の医師から携帯に連絡が入った。冗談だったとの話ではなく、ベッドを何とか確保できたので、来週早々入院して欲しい、手術は1日も早く行いたいとのことだった。私は、分かったと小さな声で返事をして電話を切りました。

友人達との同窓会の日から数えて28日目に、私は手術室の主役になりました。スキルス性胃がんを初めから疑った外科医の友人の尽力により、こうして短期間で手術の日を迎えることが出来たのでした。

友人は執刀医にはならず、助手として私の手術を応援してくれました。いかに医師と云えども身内や親しいものには主観が入る、そのため助手としての役目に回ったらしいのです。

手術中の私は何度も夢を見ました。金剛力士像のような恐ろしい姿形の生き物が、私に怒鳴る夢でした。

「お前は、現世ではとても驕り高ぶった生き方をしてきたようだ。お前のような奴は生かしておいても、結局世のためにはならん。私の世界に連れていき、未来永劫、お前を重労働の荷役としてこき使ってやる!」

私はその金剛力士に似た生き物の足元にすがり付き懇願するのでした。

「私が間違っておりました。今後、悔い改めます。ですから、どうか私を許してください。現世に帰してください。少しでも辛い生き方を余儀なくされている人々のためにこの人生を捧げます。誓います!誓います!」

「よし!分かった。お前が悔い改めるというのなら、試してやろう。5年の時間をくれてやる。もし、お前が変わらなければ、今度は問答無用で私の世界に連れていく」

私が麻酔から覚めた時は、ICUのベッドにいました。喉には幾本かの管が通され、私は身動きもできず苦しくてなりませんでした。看護師からの連絡で、友人の医師が手術着の上にICU室専用の白く透明な帽子と前掛けのような姿で現れ、ニコニコ顔で言いました。

「俺の言った通りだったよ。スキルス性の胃癌だったが、予想通り早期だった。だが、5年間は経過を見る必要がある。とにかく手術は大成功だったよ」

私はまだ覚醒しきれない意識の中で、夢と現実の世界の中で揺れていましたが、大成功という言葉だけはしっかりと認識できました。               つづく

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