課題テーマに挑戦「寺坂棚田」第3回
2022年08月13日
課題テーマに挑戦「寺坂棚田」第3回
今朝のニュースでは、秋田県や青森県では大雨の被害が出ているようです。一日も早い復旧と日常への復帰を祈念するとともに、心よりお見舞いを申し上げます。
また台風8号の影響が心配です。東海地方及び関東甲信地方に被害出ないようにと祈ります。
数日前までは酷暑で、日中はとても外には出られませんでした。ですが家の中に閉じこもっているのも、体のためには良くありません。また、酷暑が戻ってくるかもしれません。その時は、暑さを避けて少し歩きませんか?
私の住んでいる所はつくば市の中心から外れた、周りを田畑に囲まれた田舎ですので、夕方涼しくなってから7,000~8,000歩程歩きます。散歩の時は周りを見渡しながら、きれいな花など見かけましたら直ぐ携帯で撮ります。時々は民家の方にお願いし、庭に入らせて頂くこともあります。自宅のものと散歩の時に撮ったものをアップさせていただきます。アイキャッチ画像は、我が家に咲いたヒマワリです。
下の画像はムクゲの花のようです。道路の傍に咲いていました。
ハイビスカスの花でしょうか?雑草に覆われた畑の片隅に咲いていました。
白いムクゲでしょうか?畑の傍に沢山咲いていました。
初めて見ました。パイナップル草というそうです。草取りをしている方にお願いし撮らせて頂きました。
最後は我が家の庭に咲いたカンナの花です。
課題テーマ「寺坂棚田」第3回
寺坂棚田の魅力を発信し、多くの方に美しいこの棚田を知って頂きたいと思っています。資料は、「歩楽~里(ぶら~り)よこぜ 」横瀬町観光サイト様及び「棚田に恋」農水省さまから引用させて頂きました。
何とも美しい秋の寺坂棚田です。
【棚田とは】
そもそも棚田とはどういうものなのでしょうか?棚田と呼ばれるには、条件というか定義があるそうです。その定義とは、山の斜面や谷間の傾斜地に階段状に作られた傾斜1/20(水平方向に20m進んだとき、1m高くなる傾斜のこと)以上にある水田ということだそうです。
【寺坂棚田の概要】
埼玉県秩父郡横瀬町の棚田は、秩父盆地の東部にあります。荒川支流・横瀬川とその支流曾沢川との合流点の右岸、武甲山麓から北へ4km程に位置しています。
標高は、230m~270m。下段の曾沢川と上段の丸山林道との標高差は40mで東西400m、南北270mに広がっており、面積は5ha、正面に武甲山の雄姿を望む見事な景観です。
【寺坂棚田の歴史】
寺坂の地形は古く、2万年前の最終氷河期以前に形成されたと言われ、棚田の南北には縄文遺跡があり、寺坂遺跡と呼ばれているそうです。磨製石斧の未完品と製作剥片が多出されたため、遺跡は磨製石斧の製作跡と考えられているようです。
6月の棚田は緑一色で、瑞風の爽やかさに日本人としての喜びを感じます。
鎌倉時代には、すでに当地で稲作が行われていたとされ、最盛期には、360枚を数える田があったと伝えられています。寺坂棚田の景観は、長い年月をかけて先人が開発した貴重な遺産です。
昭和50年ごろまでは、大部分の田で稲作が行われており、昔ながらの田園風景だったそうです。しかし、時代の流れとともに減反政策や後継者不足などの理由から耕作放棄地が年々増加し、平成10年頃には、地権者約50戸の内、耕作する者はわずか4戸となり、雑草・雑木が生い茂り荒れ果ててしまったそうです。
横瀬町歴史民俗資料館から下の3枚の画像をお借りしました。下の画像は、多くの棚田が耕作されていた頃。(1987年6月)
一部の棚田が耕作されていた頃。(1996年6月)
殆んど樹木や雑草に覆われた寺坂棚田。(1998年5月)
この荒れ果てた寺坂棚田が、下の画像のような美しい棚田にどうして変わることが出来たのでしょうか?
この寺坂棚田がどのようにして、かつての素晴らしい、そして全国に知られるような棚田に復活したのでしょうか?やはり多くの人の知恵と汗の結晶であったようです。次回第4回は、この辺の事情を少し詳しく調べてみたいと思います。
※画像は、横瀬町のホームページ及び横瀬町観光サイト様から転載させて頂きました。