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課題テーマに挑戦「銚子港」第12回

2023年07月14日

 課題テーマに挑戦「銚子港」第12回

このところ、つくばもうだるような暑さが続いています。何と東京の八王子市では、一昨日39.1度まで気温が上昇したとのことです。

高齢者が農作業中に熱中症になられることが多いと聞いたことがあります。私も菜園などで草取りをしますが、もう少ししてから休もうなどと、つい無理をしてしまいます。皆さん、こまめに休んで、経口補水液などを摂るように心がけましょうね。

話しは変わりますが、今、石川啄木の歌集「悲しき玩具」を読んでいて、ふと次の歌が気になりました。

 古手紙よ! あの男とも五年前は、かほど親しく交わりしかな。

人は生涯で、どれ位の人と交わることが出来るのでしょう?そして、その中でどの位の人と、親しく心を許せるほどに交わることができるでしょうか?

来月、72歳を迎える私には60年以上昔からの付き合いがあり、今でもラインで同時通話を楽しむ仲間がいます。また現役の頃、職場が一緒だった方達とも同時通信をし親交を温めています。たまにランチを一緒にしますが、瞬時に40年以上も昔にタイムスリップします。

ですが、逆に何年も親しく交じり合いながらも、何かのキッカケでその縁が切れてしまうこともありました。啄木も親しく交わり合いながらも、縁の切れてしまった昔の友人を懐かしく思い出した歌なのでしょう。

私には、趣味の会や地区の役員などを通じて知り合った大勢の仲間がいます。その中には知り合って間もない方ですが、これから10年も20年も親交を続けていきたいと思う方もいます。

人生には数少ない貴重な出会いがあります。その出会いを大切にし、人生をより豊かにしていければと心から望んでいます。

下の画像は本日の昼頃、筑波山に向けてのスマホの画像です。筑波山は雲に隠れて見えませんでした。

下の画像は散歩中に撮った真っ赤なグラジオラスです。

アイキャッチ画像は、私が苗を植えたアスターの花です。私はアスターが大好きです。

  物語 想い出の銚子電鉄外川駅(第5話)

 【叔母の話し その②】

「A子ちゃんの事件から二日経った金曜日の朝、私は職員室で校長先生に『A子ちゃんのお見舞いにもう一度、明日行かせてください!』と懇願したのです。

校長先生は、私が何か真実を掴んでくれると期待したのでしょうか?あっさりと『渡辺先生、ぜひ宜しくお願いします。今回は男の高橋先生には遠慮して頂いて、渡辺先生お一人でお願いしたいと思います』と反対に頭を下げられました。

翌日の午後、私はA子ちゃんの病院を訪れました。

病室の前でドアにノックをしても、返事がありませんでした。私は、そっとドアを開けて、室内を覗き込みました。窓際に置かれたベッドには、A子ちゃんがひとり横になっていました。

A子ちゃんの母親はどうしたのかと思いましたが、売店かお手洗いだろうから直ぐ戻って来られるに違いないと考え、もちろん失礼かとは思ったのですが、何がA子ちゃんをあのような行動に走らせたのか、その心の内が知りたくて、A子ちゃんの部屋に入らせて頂きました。

私はA子ちゃんのベッドに近寄り、A子ちゃんの顔を覗き込みました。A子ちゃんは、特に驚きもせずに、私の顔を真っすぐに見てくれました。

『A子ちゃん、こんにちは。どう?』

私は、A子ちゃん尋ねたいことが沢山あったのに、言葉が出て来ませんでした。3日前、A子ちゃんは私には想像も出来ないような辛い思いをしたばかりです。私はA子ちゃんの心の中に土足で入り込もうとしているのではないかと臆病になったのでした。

『A子ちゃん、ごめんね。辛いのよね。今は、泣きたいだけ泣いて良いのよ。A子ちゃん、お母さんは直ぐ戻るんでしょう?今日は、お母さんが戻られたら、先生は帰るわね。そして、また近いうちに来させてね』

多分5~6分は経ったでしょうか?私はA子ちゃんに言いました。

『A子ちゃん、お母さんが戻られないようだけど。今日は、申し訳ないけど先生帰るわね』

私がA子ちゃんに声をかけ、体の向きを入り口のドアに向けようとした、その時ときです。

『先生、帰らないで・・・』

微かに聞こえるような声でしたが、その声にびっくりし、再びA子ちゃんの顔を覗き込みました。A子ちゃんの目からは、大粒の涙が溢れていました。

私はベッドの脇の丸椅子に腰を下ろし、そしてA子ちゃんの右手を握りました。左手の手首辺りは包帯が巻かれていました。私は、何も言えずに、A子ちゃんの目をみつめながら一緒に涙を流しました。

どのくらいの時間をそうしていたのか定かではありませんが、私はA子ちゃんの涙が止まるまでは帰るわけにはいかないと、ただA子ちゃんの手を握っていました。A子ちゃんの母親のことはすっかり忘れていました。

『先生、、、私、何度も先生に相談したかった』

A子ちゃんは、タオルで顔を拭いながら言いました。

『A子ちゃん、いいのよ。無理に話さなくても』

私は今のA子ちゃんには、安静と休養が一番大切だと思ったのです。

『でも、先生はいつも忙しそうで、保健室にしょっちゅう来る生徒たちが何人もいて、、、』

かすれたA子ちゃんの小さな声でしたが、その声も思考もしっかりしていました。

A子ちゃんは、保健室で体重を計りながらも、心の中では私に何かを相談したかったのだと今初めて知りました。保健室に体重を計りに来たA子ちゃんが心配で一度声を掛けましたが、何故あの時もっと踏み込まなかったのだろう!そう思った私は、また涙が溢れて来るのでした。

私は、A子ちゃんの心に何かが潜んでいるのを、朧気ながら気付いた時、A子ちゃんの母親との面談を希望し、高橋先生の仲介でそれは実現できたのでした。しかし、『摂食障害かも知れないので、何か思い当たることはないでしょうか?』との私の問いに、『家庭には何の問題もある筈もない、私は忙しいのに!』と、けんもほろろに帰ってしまった母親に、私は取り付く島もなかったのも事実です。

ふと我に返って思った私は、すぐ戻ると思われたA子ちゃんの母親のことが気になりだしました。いくら売店でもこんなに時間は掛からないだろう?と思ったのです。。

『Aちゃん、ところでお母さん、売店にでも行ったのでしょう?ずいぶん帰りが遅くない?』

私は、つい気になってA子ちゃんに聞いてみました。

『お母さんなら、今朝、着替えとご飯にかけるふりかけを持って来てくれたけど、仕事が忙しいからと直ぐ帰っちゃったわ』

私は絶句してしまいました。まだ中学2年生です。その彼女がどれ程の悲しみを堪えているのか、そう思ったら独りになどしておけない筈です。仕事が忙しくても、非常時です。上司に土下座しても休んでA子ちゃんの傍にいて上げるのが母親の娘への愛情ではないかと、私は信じられない思いでした。

『先生、少し話しても良いでしょうか?』

A子ちゃんは、すまなそうな顔をして、私が何かやさしい言葉を掛けようものなら、また大粒の涙を流しそうでした。

『A子ちゃん、今は疲れているから、少しだけにしましょうね』

『実は、先生。私、お友達も殆んどいなくて、お家に帰っても両親は仕事でいないし、いつも独りぼっちなんです。両親の休みの日に家族揃ってどっかに出掛けたという記憶もありません。

亡くなった私のおばあちゃんが、いつも言っていました。お前の両親は相性が悪いのか、顔を見合わせるといつも喧嘩ばかりしている。あれではお前が可愛そうだって』

私は辛くなって話題を変えました。

『夕飯は、どうしていたの?』  

『冷凍庫の食品や野菜などを、自分で焼いたり、揚げたり、また炒めたりして、炊飯器の中のご飯と一緒に食べていました。初めは、楽しかったんです。でも、そのうち面倒になり、コンビニ弁当やカップ麺、スナック菓子を買うようになりました。

仲の良くない両親に、私は甘えることも出来ず、休日に家にいるのが辛くなりました。いつも公園や図書館などで時間を潰していました。

そのうち、私など生まれて来なければ良かったのにと思うようになりました。そんな時は、無性にポテトチップスが食べたくなります。あのパリッパリッとした歯ごたえが、私の落ち込んだ気持ちを慰めてくれ、気が付くとあっという間に一袋は空になりました。それでも食べ足りず、つい二袋目にも手が出てしまいました。

スナック菓子に飽きると今度は、妙に甘いものが食べたくなり、おまんじゅうやどら焼きのようなものを、買い置きの段ボールの箱の中から取り出し食べました。

もうこれ以上食べられないと思った瞬間、今度は冷や汗が流れます。私は体重が気になり、直ぐにお風呂場の体重計に乗りました。

あっ またやってしまった!

ここからいつもの行動に急ぐのです』

普通の人なら分かることですが、要するに水の入ったバケツを持ったままで体重計に乗っているのと同じことなのですが、もう体重が増えてしまったと錯覚したA子ちゃんは次にトイレに走ったのだそうです。

そして、舌を突き出し、右手の人差し指と中指を喉の奥に突っ込むのだそうです。涙を流しながら、顔を真っ赤にし、よだれと共に食べたものを吐き出すのだそうです。

吐き出した後、再び体重計に乗り、元の体重に近くなるとA子ちゃんはやっと安心したそうです。暫らくみぞおちの辺りが痛むそうですが、休んでいると自然に治るとのことです。

A子ちゃんは、いつの間にか饒舌になっていました。普段のA子ちゃんからは考えられないことでした。

私は、A子ちゃんが、リストカットしたその時の心の状態など具体的なことに触れたかったのですが、それは今のA子ちゃんを余計苦しませんことになるだけだと今日は諦めまることにしました。

それから数日して、A子ちゃんは退院しましたが、学校には4週間の休養が必要との医師の診断書が提出されました。

診断書を持参したのは母親でした。仕事の昼休み中だという母親は、職員室に来て校長先生に診断書を手渡しながら言いました。

『校長先生、A子がこういう事件を起こしたのは、学校の責任じゃないですか?担任の高橋先生も、養護の先生も、A子の様子が変だと知りながら、何もしてくれなかったじゃないんですか?近く弁護士の先生と相談して、この中学校を訴えるつもりですから、そのおつもりでいて下さい!』

それだけを言うと、直ぐ帰ってしまったそうです。

高橋先生と私は、校長先生から「少し話しましょう!」と言われ、校長室のソファーに腰を沈めました。

『困りましたね。高橋先生、渡辺先生。どうしたもんでしょうな。高橋先生、今回の事件を未然に防ぐことが出来なかったのですか!渡辺先生、先生はA子ちゃんの母親とも話したというのに、その時に今回のようなことがあるかも知れませんと、どうして言えなかったのですか!』

私は、A子ちゃんの母親が裁判沙汰にすると聞きもちろん驚きました。確かお見舞いに伺った時も仰っていたのを思い出しました。ですが、私と高橋先生に落ち度があったのではないかとの校長先生の言葉には、正直がっかりしました。

教育委員会からも、私と高橋先生は呼び出されて質問攻めにあいましたが、私は現状の養護教諭の立場の中では、完ぺきとは言えずとも、出来るだけの努力はしたつもりですと申し上げました。でも、世間体を気にする教育委員会の方々は信じてはくれませんでした。

『渡辺先生、この市には7つの中学校があり、先生のいるこの中学校は生徒の数は少ない方です。もっと生徒数の多い学校でもこのような事件は起きていませんよ。どう思われますか?

正直に申し上げますが、先生は出来るだけのことをしたと言われましたが、それならなぜこのような事件が起きたとお考えですか?先生の出来るだけの努力とは、どんな努力なのでしょうか?』

校長先生のこの言葉には、正直驚くと共に情けなくなりました。生徒の数が少なければ、数学的には生徒の事件が起きる確率は減るかも知れません。ですが、工場の生産ラインではないのです。あくまで、人としての尊厳と共に、意思を持った個人を単に比率で片付けようとする校長先生の言葉には正直呆れてしまいました。

その上、校長先生はまた続けました。

『裁判になり、もし敗訴にでもなれば、市としては大変な経済的損失を被ります。先生方個人には、公務員としての立場上、損害補償を求められることはないとは思いますが、それで先生方は平気なのですか?この私も、監督不行き届きで何らかの処分は避けられないでしょう。今までの、私の努力は水泡に帰してしまいます。あなたたちは、この私に対してもどう責任を取ってくれるのです!』

校長先生は今回の事件の本質を向極めようとすることよりも、もう既に保身に走っているのでした。

私は、養護教諭と言う仕事がどれだけ大変なのか、どれだけ大切なのかを、その知識のないこうした人々にどう対処したら良いのか、自信が無くなってしまいました。

私と高橋先生は教育委員会や校長から、不審の目で見られながらの辛い日常となりました。

そんな時です。A子ちゃんと母親は、A子ちゃんの親戚だというと3人の男の人と、ある日の午後に職員室を訪れたのです。

大勢の訪問に校長は、取り乱しました。

『とにかく、校長室にご案内して』と事務職員に言いつけ、『高橋先生と渡辺先生にも校長室に直ぐ来るように伝えて下さい』と教頭先生に指示しました。

校長室に関係者が揃ったところで、3人の親戚の中で最も年配の人が口火を切りました。

『お忙しいところ、予めご連絡もせず、こうしてお伺いしたことを先ずお詫びいたします。実は、A子の母親から、今回の件について先日来相談を受けていたのですが、今日になって親戚の者のそれぞれの都合がやっとつきましたので急遽お邪魔した次第です。

今日お邪魔したのは、今回のことについてA子の母親の言うことばかり聞いていてもらちが明かないと思いまして、担任の先生や養護の先生のお話も聞かせて頂きたいと思ったからです』

穏やかな話し方に、この方の品格のある方だと私は思いました。

その方が念のために録音させて欲しいと、ポケットからICレコーダーを取り出したのには驚きました。そして静かに言いました。

『それでは、A子の母親に今回の件について感じていること先ず話させます。よろしいですか?』

A子ちゃんの母親は、手を組んだり外したりと随分と緊張している様子でしたが、堰を切ったように話し出したのです。

『今回A子がこのような事件を起こしたのは、学校側に責任があると思っています。A子にクラスの仲間からいじめや嫌がらせがあったのではないんですか?今回のような事件の前には、何らかのサインがあった筈だと聞いています。高橋先生は少しでもA子に気を配っていたのですか?先生の配慮が足りなかったのが原因ではないんですか?気遣いがあったら、今回の事は防げたんではないですか?防げなかったということは、高橋先生はA子にもクラスの生徒たちにも、あまり良い先生ではなかったのではないんですか?

ハッキリ言いまして高橋先生には、担任を持つ資格などないと思います。A子に話かけたり、悩みを聞いてあげようとしたことなどあったんですか?A子の予兆にも気付けない高橋先生でなく、もう少し能力の高い先生が担任だったら、A子は今回のようなことはなかった筈です!』

事務員が出したお茶を一口飲むと、また話し始めました。

『それから、養護教諭の渡辺先生でしたか?先生は養護教諭なのでしょう?いわば、こうした事件を未然に防ぐのが仕事ではないんですか?

確かに、渡辺先生は我が家を訪れて、A子が摂食障害の可能性があるとは話してくれましたが、何か私の家庭に問題があるのではと言っていましたよね。何かストレスになるようなことが家庭にあるのではと言っていましたよね?それって責任転嫁ではないんですか?』」

A子ちゃんの母親は学校側を激しく責め続けたそうです。

 

先日、美咲ちゃんからの手紙が届いてから、数日のうちにまた届いた。今回も、封筒には何枚もの切手が貼られており、やはりはち切れそうだった。

「翔ちゃん、今回の手紙も長くなってしまったけど、どうか最後まで読んで下さいね。また、私が養護教諭を目指す動機まで書き進めることが出来ませんでした。ですが、将来の職業と心に決めた養護教諭の道をどうして私が選んだのか、次回の最後の手紙で必ずお知らせします。ですので、もう少し待ってくださいね。それでは、養護教諭の叔母の話しの続きを記します。

そう手紙の冒頭でには記されていた。私は、美咲ちゃんが並々ならぬ決意で養護教諭を目指しているのかが分かった。次回が最後の手紙とのこと、それまで将来の伴侶と決めている美咲ちゃんの熱い志しが詰まった手紙を待とうと思った。             つづく

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