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課題テーマに挑戦「銚子港」第17回

2023年09月30日

 課題テーマに挑戦「銚子港」第17回

もう今日で9月も終わりです。ですが、広島県安芸太田市では33.1℃を記録したそうです。

今年の夏は、気象庁が統計を取り始めた125年間の間で最も暑い夏になったとのことです。また東京で最高気温35℃以上の猛暑日は過去最多の22日間だそうです。過去の最多日数は16日だそうですから、大幅な記録更新となりました。

10月も広い範囲で平年より気温が高いとの予想があります。これから、日本の気候はどうなってしまうのでしょうか?日本だけではなく世界中が異常気象に見舞われているようです。この異常気象は食料品の価格など世界経済にも影響を及ぼすとのことです。

アイキャッチ画像は数日前の秋の筑波山を撮ったものです。画像からは秋の涼しさが感じられますが、実際は戸外に出るのがためらわれる程の暑さです。

道端の草むらの中に彼岸花が咲いていました。

近くの人工池にも秋の気配は漂っていますが・・。

まだコスモスの花が見えません。いつもなら既に見られる頃なのですが。

  物語 想い出の銚子電鉄外川駅(第10話)

【由香里さんの退職】

私の由香里さんへの旺盛な好奇心も、考えられない速さで失うことになってしまった。

由香里さんは、彼女の父親の誕生日のお祝いにネクタイを贈ろうとして、紳士服売り場への協力を私に求めた。蒲田駅直結の紳士服売り場で懸命に由香里さんと二人で探した。なかなか見つけられずにいたが、偶然私は由香里さんが気に入るネクタイを探すことが出来た。

父親にピッタリのネクタイだと言って、由香里さんは私に感謝してくれた。感謝の言葉の後に、「私と友だちになって下さい」と私に言い、私が「よろしくお願いします」と答えると、彼女は輝くような表情をした。だが、その直後彼女の頬を一筋の涙が零れ落ちた。

あの時の涙は何だったのだろうか?

そして、東京を案内してあげると言ってくれ、私のために多分夜遅くまでいろんな準備をしてくれた。まだ東京の住人になって日は浅いけれど、私も東京の人間だ。もう恥ずかしいなどと逃げはしない。喫茶店ではなく、カフェだ。そのカフェで、由香里さんが中学生の時に母を亡くしたと言って、また涙を流した。確かに、母を思い出し急に懐かしさが込み上げたのかのかも知れない。

由香里さんは、二人で会った僅か二日の間に、2度も涙を流した。今は大学に通う大好きな美咲ちゃんの涙を私は一度も見たことがない。由香里さんは、泣き虫なのだろうか?

由香里さんから山手線で都心を案内して貰った翌々日は、美咲ちゃんとのデートの約束の日だった。だが、美咲ちゃんが風邪を引き中止となった。私は薄情者だ。美咲ちゃんを心配し、大丈夫かとの電話もしなかった。

確かに東京から出て来て間もなくであり、仕事や生活のことで精一杯だった。だが、由香里さんとの時間は十分に取っている。言い訳にはならない。

後悔した私は、由香里さんと蒲田駅の前で別れた後、美咲ちゃんに電話を掛けた。

午後4時頃だったと思う。呼び出し音が数回すると、美咲ちゃんの元気な声が聞こえてきた。

「あっ 翔ちゃん!ごめんね。私が風邪を引かなかったら、明後日の今頃は蒲田駅で会っていた筈だよね。本当にごめんなさい。でも、同じアパートの小野裕子さんの看病のお陰で次の日には熱が下がりました。朝も、朝食と昼食の用意をしてくれてから、大学に行ってくれたの。実の姉みたいでしょう!」

美咲ちゃんの声は明るく弾んでいた。私は、由香里さんのことは何も話さなかった。

「この間のお詫びに、来週にでも蒲田に行きたいのだけど、サークル活動の予定がずっと入っちゃっていて、暫らく時間が取れないの。翔ちゃんごめんね。来月ならきっと大丈夫だから」

美咲ちゃんは忙しくて私に逢う時間が取れないと悲しそうに言った。だが、私はずるい人間だ。美咲ちゃんの感情に合わせるように、寂しそうに呟いた。

「せっかく楽しみにしていたのに!じゃあ、来月逢う時は渋谷にしない?」

私がいきなり渋谷などと言ったものだから、美咲ちゃんはびっくりしていた。

「翔ちゃん、まだ上京して間もないのに、もう渋谷を知っているの?」

私は由香里さんに教わった「忠犬ハチ公」が見たかったのだった。一人では、心許無い。この日の電話は来月に渋谷でデートをしようと言うことで終わった。電話を切ってから、思った。美咲ちゃんとのデートが日延べになっても私はそれほど悲しくはない。どうしてなのか?

また、宮内不動産に話しが戻るが、由香里さんと山手線に乗って都心を回ってから3~4日過ぎた頃だったろうか?その日は午後2時半過ぎに赤ら顔の堀越社員と帰社すると、生活臭のする木村社員が独り言のように呟いた。

「由香里ちゃんは、お父さんの仕事の関係で、来週いっぱいでこの宮内不動産を辞めちゃうのね。せっかく仲良くなれたのに残念だわ。家族揃って、山口県の萩に行っちゃうなんて寂しいわ」

その場には由香里ちゃんはいなかった。いつものように銀行に出掛けたらしい。

私はその言葉に衝撃を受けた。何と私が入社する前に、退職願いは出されていたのだった。

私に友達になってと欲しい言い、私の承諾に喜んで涙まで流した由香里さんだ。どういうことなのか?あの時の喜びも涙も、全部嘘なのか?もう直ぐ会社を辞めて遥か遠くの地に引っ越す人の態度なのか?言葉なのか?

暫くして銀行から帰ってきた由香里さんは、私の顔が歪んでいるのに気付いたらしい。私が事の真相を知り戸惑っているのを察したようだ。平静を装いながらも由香里さんの心が、黒く淀んだ分厚い雨雲に覆われた空のような物悲しい表情に変化した様を、動揺していた私が知る由もなかった。

その晩、私はまた近くの酒屋でコインを入れ、缶入りビールを二本買った。いつもは一缶だけど、何故か二缶も買ってしまった。だが一缶で酔った私は、頭痛がし台所で吐いてしまった。

その翌日の事である。他の社員たちが昼の弁当の買い出しや何かの用で、私と由香里さんの二人だけになった時だった。由香里さんは小さなメモ用紙を、頭を下げながら私に差し出した。

その紙には「住所を教えて下さい」と書かれていた。私はすぐその場でメモ用紙の空きスペースにアパートの住所を書いた。急いで由香里さんに手渡した。その意味を知る由もなかったけれど、由香里さんは笑顔を隠すような表情で受け取った。

その日がやって来ないようにとの願い虚しく、由香里さんの退職の日はやって来た。朝、出勤してきた社長はみんなの前で言った。

「残念なことだが、今日で由香里さんはわが社を退職する。2ヶ月半という短い期間ではあったけれど、良く働いてくれた。お父さんの転勤の為なので今回の退職はやむを得ないが、また蒲田に戻ってくるようなことがあったら、またこの会社で働いて欲しいと思っています。昼には、私から送別会用に頼んだ「松花堂弁当」をみんなで食べてから、由香里さんを笑顔で送り出してあげましょう!」

社長の声はいつものような明るい声だったが、女性社員は目頭を熱くしているようだ。当の由香里さんは、既にハンカチで顔を覆っている。

応接室にはバラやユリの艶やかな花に、少し涼しげなブルー系の花が加わった花束が用意されていた。社長の粋な計らいに私は感激した。由香里さんは、午前中だけ仕事をし、お弁当を食べて退社することになっているという。

時間の流れは、誰にも止められない。事務室のやや高い位置に据えられた柱時計の長短の二つの針が、無慈悲にも午前中が終わる位置に重なった。

「本日 正午より午後2時まで臨時休業とさせて頂きます 宮内不動産」と書かれた紙を貼り付けた広告ボードを、高橋社員が玄関の目立つところに置いた。

その10分前に配達された「松花堂弁当」を、女性社員がお吸い物と一緒に全員に配った。今日の主役は由香里さんだ。応接室の普段は社長が座る椅子に、今日は由香里さんが座っている。緊張と悲しさが入り混じった表情は今にも泣き出しそうである。

社長が由香里さんへの労いの言葉を述べた。

「渋谷さん、短い期間だったけど、頑張ってくれてありがあとう!萩に行っても元気で頑張ってください。いつも応援しています。それでは、代表して谷口社員、由香里さんへ贈る言葉をお願いします」

社長が言葉を終えると年配の谷口社員が笑顔で口を開いた。

「由香里さん、短い間だったけど会えて良かったです。由香里さんは、いつも朝一番に来て、皆さんの机の上を拭いたり、床の掃除をしてくれました。きっと、萩のどこかの会社に勤められても、宮内不動産でのように、皆さんから愛されることと思います。それに、きっと将来は素晴らしいお嫁さんになられることと思います。これからも頑張ってくださいね」

谷口社員の言葉に、それまで絶えていた由香里さんが、つい耐えられずに大粒の涙を流し始めた。

谷口社員は立ち上がり、由香里さんの後ろに回って、その背中をやさしく撫でた。少ししてから、その谷口社員は言った。

「由香里さん、ひと言で良いので、何か言ってくださいね」

谷口社員から促された由香里さんは、涙を拭ってから、途切れ途切れにようやく言葉を絞りだした。

「皆さん・・。今日まで・・気の利かない、お荷物だった私を可愛がって下さり・・本当にありがとうございました。・・この宮内不動産に通勤するのが毎日楽しくてなりませんでした。

皆さんが、いつまでも健康でご活躍をされますようにと遠い萩から祈っています」

そこまで話すとまた由香里さんは、ハンカチで顔を覆い椅子に崩れ落ちた。

「それでは、社長が用意してくれた松花堂弁当を頂きましょうか?由香里さんも一緒に頂きましょうね」

谷口社員のその言葉に全員が「頂きま~す」と言い、縁の高いかぶせ蓋を開いた。十字形に仕切られたその中には、鯛の刺身や煮物、そして香の物が上品に添えられていた。

由香里さんは蓋を開けたが、箸を持たない。矢口社員は、優しく言った。

「由香里さん、あまり食欲がないのは分かるけど、生ものだけでも食べて下さいね。お家に持って帰られてからでは、この時期は食中毒が怖いですからね」

そう言われた由香里さんは、やっと決心したかのように箸を持ち、形だけでも口に運んだ。

私は、山手線を一緒に回った日から、殆んど由香里さんとは話していない。会社にいる時は何気なく由香里さんに目をやるのだが、由香里さんは反応を示さない。

由香里さんについて私が知っていることは、僅かでしかない。

〇母親が由香里さんの中学生の時に、悪性の病で亡くなったこと。

〇中学生の弟がいること。

それくらいだ。父親のことは何も知らない。どうして、普通あり得ないこの時期に転勤なのだろう?

由香里さんは萩に行ってから、どんな仕事に就くのだろうか?

中学生の弟さんは、まだ見たこともない異郷の地に転校せざるを得ない。その心境は如何ばかりだろうか?

僅か2時間ばかりの送別会は、楽しくもあり悲しくもありで瞬時に終わった。

由香里さんは、花束を抱えて家路についた。顔が、涙で赤く染まっていた。

私は、翌日から出勤が少し億劫になった。会社に着いても、お茶は自分で入れざるを得ない。由香里さんがいる筈なら私が席に座る頃には、私専用の湯呑茶碗に濃いお茶が注がれ、笑顔の由香里さんから受け取ったものだった。

まだ由香里さんが辞めて数日なのに懐かしく思す。暑い日の午後に帰社すると、由香里さんの入れてくれる冷たいコーヒーが疲れを癒してくれた。もう二度とあのコーヒーを味わうことは叶わない

忘却とは忘れ去ることなり・・昔テレビか新聞で読んだことがある。人類に忘れるという言葉がないのなら、悲しみの余り世を儚み命を断つ人が後を絶たないことだろう。家族や愛する人を失っても、時間は傷ついた心をいつか忘れさせてくれる。いや、思い出す頻度を減らしてくれる。

由香里さんのいない仕事場が日常になった頃、遥か遠い山口の萩から私のアパートの郵便受けに由香里さんからの手紙が届いていた。

私が銚子で美咲ちゃんから貰った時のように、分厚い封筒には何枚もの切手が貼られていた。 つづく

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