創作の小部屋「俺の港だ 鰺ヶ沢」
2021年01月26日
創作の小部屋「俺の港だ 鯵ヶ沢」
作詞は難しいものです。ただ漠然と言葉を並べても良い作品は期待できません。そのため私が歌詞を作る場合においてよく使う手段は、テーマが決まったらそれをイメージして物語を作ります。長くなってしまう場合もありますが、今回の「俺の港だ 鯵ヶ沢」はとても短い物語です。
物語の長さは関係ありません。物語が出来ましたら、その物語から浮かぶ言葉を書き出します。深く考える必要はありません。とにかく一つでも多くの言葉を書き出していきます。それからその言葉を並べながら進めていく訳ですが、詳細はブログカテゴリー「作詞を始める前に」からお読み下さいませ。
それでは今回の「俺の港だ 鯵ヶ沢」の物語をお読み頂き、作詞の参考にして頂けましたら幸甚です。
俺の港だ 鯵ヶ沢 作詞用物語
鰺ヶ沢漁港で生きる幸夫は、もう50を過ぎ白髪も目立ってきた。漁に行くときは、息子の拓海と二人で力を合わせて網を引く。
この拓海は、約25年前に亡くなった友人の子どもだった。
幸夫は、幼馴染の友人の漁師を時化で亡くし、一時は漁師を辞めようと思った。だが、友人のためにも自分の生きる道は「漁師」しかないと考え直した。幸夫は、当時まだ独身だった。
友人は、妻の香里とまだ幼い3歳の拓海が遺して逝った。幸夫は大漁の折には、獲れたばかりの魚やおもちゃなどを届けた。何度かそうしているうちに、幼い拓海がなつくようになった。幸夫は、この拓海が可愛くてたまらなくなり、漁の休みの日には遊園地などに3人で出かけるようになった。別れ際、拓海はいつも大泣きをした。
幸夫は、ある日いつものように届け物をし、以前から覚悟を決めていたことを香里に伝えた。
「拓海ちゃんの親父になりたい!」
香里は、一瞬驚いたような表情をしたが、下を向いて返事はしなかった。
数日の後、鯛を持って訪れると、拓海が抱きついて来た。拓海を抱き上げながら香里を見ると、明らかに意を決した女の晴れやかな表情が見てとれた。
幸夫は、拓海を自分の子として真心を持って育てることを約束した。香里は、涙を流した。
いつしか時は過ぎ、拓海は水産高校へと進学した。その頃、幸夫は鰺ヶ沢漁協での主に定置網漁を仲間と行っていたが、拓海の卒業を見据えて独立の準備を始めた。
拓海には、まだ真実を話していない。二十歳になってから話すつもりだ。出来ることなら、その日は来ない方がいい。拓海の反応が怖いからだ。今まで、ずっと実の子どもと思い育てて来た。拓海も、実の親だと思っている。人情豊かなこの鰺ヶ沢の人々は、誰も拓海親子を温かく見守っている。誰もがそんな話は酒を飲んだ時でも口にすることはない。
仏壇の写真は、兄の若かった時の写真と言ってある。物事には、真実を話した方が良い場合と、そうでない場合とがある。香里はいつか話して欲しいと願っている。
拓海は晴れて水産高校を卒業した。本当は、幸夫の漁師仲間に頼み数年間は修行をさせるつもりだった。だが、拓海は親父に教わりたいと言った。幸夫は持ち金と借金とで、自分の船を持った。
こうして親子の漁師が誕生した。
※ 作詞用に作った代表的な物語は「鳥海山物語」です。創作の小部屋からご覧ください。